マン・オブ・スティール

あらすじ
幼少期から超人的な力を持つクラーク・ケントは、その力を封印して孤独な少年時代を送っていた。やがて成長した彼は、滅亡寸前のクリプトン星から、父が自分を地球へ送り込んでいた事実を知る。クラークが地球にいることを突き止めたクリプトン星の反乱軍ゾッド将軍。地球の運命を巡る戦いが始まろうとしていた。
原題
Man of Steel
公開日
2013年8月30日
上映時間
143分
予告編
キャスト
- ザック・スナイダー(監督)
- デヴィッド・S・ゴイヤー(脚本)
- ヘンリー・カヴィル
- エイミー・アダムス
- マイケル・シャノン
公式サイト
映画史において重要な位置を占めるスーパーマン

アメコミ映画の極北とも言うべき「 ウォッチメン(2009) 」を作り上げた鬼才ザック・スナイダーが、アメコミの王道中の王道スーパーマンをシリアスなタッチでリブートした作品。
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)に対抗するDCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)の第1作であり、この作品を起点として「 ジャスティス・リーグ 」に集った面々、
ベン・アフレック版バットマン、ワンダーウーマン、アクアマン、フラッシュ、サイボーグたちがスクリーンで活躍することになった。
さまざまな意味で歴史的に重要な作品だが、ザック・スナイダーの離脱やワーナー・ブラザースの内紛もあってDCEUが尻すぼみに終わったせいか、その重要性は今ひとつ理解されていないように思える。
クリストファー・ノーランの「 ダークナイト 」三部作が公開された後だっただけに、「 悩めるヒーローはバットマンだけでいいよ。スーパーマンはもっと明るいタッチで描いてほしい 」という声も少なからずあった。
気持ちは分からないでもないが、アメリカの正義を体現したような明るいスーパーマンが今時そのまま通用するとも思えず、筆者はこのシリアスなタッチに大いに感動。
公開時には劇場で4回見た。
なおこの映画の中で主人公は、クリプトン名のカル=エルか地球名のクラーク・ケントで呼ばれ、一度たりとも「 スーパーマン 」とは呼ばれないのが何気に笑える。
胸のマークもSupermanのSではなく、エル家の紋章のようなものだと説明されている。
アートとエンタテインメントの奇形的な融合
そんな「 マン・オブ・スティール 」をBlu-rayで再見したのは、本作のヴィランであるゾッド将軍をマイケル・シャノンが再演する「 ザ・フラッシュ 」の予習のためだ。
久しぶりに見直して、やはりこれこそがスーパーマン映画の最高傑作であることを確信した。
特に後半は息つく間も無いほどに引き込まれる。
ただし「 ジャスティス・リーグ ザック・スナイダー・カット 」と同様、前半の説明的な描写は、今見るといささか冗長だ。
劇場で見ると、あの絵画的な映像美で誤魔化されるのだが、家のモニターではそこまでの求心力を保てない。
重厚な絵作りと、今時のアメリカ映画としてはゆったり目の編集のため、説明描写で少しもたついた印象を与えるのがザック・スナイダーの弱点だ。
とは言え後半のアクションスペクタクルは最高の迫力だし、全てのショットがスナイダー独特の映像美に溢れている。
アートとエンタテインメントの奇形的な融合こそザック・スナイダー映画の真骨頂であることも、あらためて痛感した。
物語はパレスチナ問題の暗喩(あんゆ)
そしてドラマ的な面で本作の魅力を背負っているのは、マイケル・シャノン演じるゾッド将軍であることも再確認できた。
確かに冷酷な悪役だが、彼は決して私利私欲のために動いているわけではない。
ストイックな軍人であり、消滅したクリプトン星の文明と同胞たちを復活させることを自らの使命と考える人物だ。
地球人からすれば迷惑この上もない存在だが、一歩引いて彼の立場に立ってみると、あのような行動を取ることも理解できるはずだ。
彼から見れば、カル=エルがクリプトンの裏切り者にしか見えないのも当然だろう。
その巨人のごときキャラクター造型は、神話の登場人物のようですらある。
今回見直して、本作の物語はそのままパレスチナ問題の戯画化になっているように思えた。
故郷の星を失い、その再興を夢見るゾッド他クリプトンの残党がユダヤ人、そのために住みかを追われる(抹殺される)地球人がパレスチナ人だ。
ゾッドたちにとって地球は生まれ故郷ではないが、ワールドエンジンによって環境をクリプトン人が住みやすいものに改変し、クリプトン人の遺伝情報や文明のデータが収録されたコデックスを使って全てを復活させれば、そこは新たな故郷となる。
世界中に離散したユダヤ人たちが祖国建設を目指し、ホロコーストという悲劇を大きな契機としてイスラエルを建国したシオニズムの歴史が重なって見える。
神の不在
そうなると、クリプトン人と地球人の架け橋となることを父親から期待されて地球に送られたカル=エルは、実はユダヤ人(ユダヤ教徒)とパレスチナ人(ほとんどがイスラム教徒)、
そしてキリスト教徒にとっても共通の「 神 」であるヤハウェに相当する存在であることが分かる。
体内にクリプトン人の全てのDNAが書き込まれ、なおかつカンザス育ちのアメリカ人として育ったカル=エル/クラーク・ケント…
彼が理想的なヒーローとしての道を歩むことは、ユダヤ人とパレスチナ人がイスラエルの地で共存するという夢想の実現も表しているのだろう。
だがこの映画の公開から10年後の2023年10月、ハマスのイスラエル襲撃をきっかけとして、イスラエルはパレスチナのガザ地区に大規模な攻撃を開始した。
圧倒的な武力によって人々の生活を破壊し数万人の生命を奪うイスラエルの容赦ない行為は、国際社会から「 虐殺 」と非難されている。
現実の世界にスーパーマンはいなかった。
代わりに繰り広げられる、殲滅戦のごときイスラエルの攻撃…この構図は何かに似てはいまいか?
そう、まさしくこの映画を再見するきっかけとなった「 ザ・フラッシュ 」だ。
クリプトン人と地球人にユダヤ人とパレスチナ人を重ね合わせたとき、興行的に大失敗となったあの映画が、まさか数か月後の残虐な戦争を予見したような作品になろうとは…
しかも現実は、「 ザ・フラッシュ 」のように何度もやり直しをすることはできないのだ。

文・ライター:ぼのぼの





