あなたは本作に何を期待したのか?
あなたは彼に何を期待したのか?
あなたの求める彼はあなたの彼でしたか?
あなたは複数の監督が撮ったBATMANを観ていますか?
ジョーカーは存在していましたか?
ジョーカーは嗤っていましたか?
ジョーカーとは?
その真実を垣間見るだろう。
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
あらすじ
とある心優しき男が徐々に悪のカリスマとなっていく様子を描いた『ジョーカー』の続編。前作から2年後を舞台に、理不尽な世の中の代弁者となったアーサーが、謎の女性リーと出会ったことで世界を狂気へ陥れる。監督はトッド・フィリップス。出演はホアキン・フェニックス、レディー・ガガ、ブレンダン・グリーソン、キャサリン・キーナーら。
原題
Joker: Folie a Deux
公開日
2024年10月11日
上映時間
138分
予告編
キャスト
- トッド・フィリップス(監督)
- ホアキン・フェニックス
- レディー・ガガ
- ブレンダン・グリーソン
- キャサリン・キーナー
- ザジー・ビーツ
公式サイト
作品評価
- 映像
- 脚本
- キャスト
- 音楽(BGM)
- リピート度
- グロ度
- 総合評価
考察・解説
筆者は鑑賞予定作品について、劇場予告以外の事前情報は基本的に遮断しています。
先入観なく挑み、筆者なりの見解・考察を展開したい。
これは筆者の矜持かつエゴイズムです。
だから、本作鑑賞前に前作を鑑みて、映画作品に於いての“JOKER”なる存在を省みた。
その観点は本作鑑賞に於いて重要な様相であり、サブタイトルが究極のネタバレに通じてるいることを鑑賞後に認識するだろう。
ジョーカーのJOKERたる出自
ヒース・レジャーのジョーカーは登場時からジョーカーそのものだった。
ジャレッド・レトのジョーカーも登場時からジョーカーそのものだった。
ジャック・ニコルソンはどうか?
マフィアのNo.2で美意識とダンディズムの自己評価の強い男が、組織のボスと愛人に裏切られ、バットマンとの初戦で敗北。
自尊心の基礎たる風貌も変り果て精神は崩壊。
暴走し、内面に存在していた狂気のみが肥大人格として、突然変異的に発現した。
アーサーはどうだったか?
前作でピエロ = JOKERとして、暴動の象徴的偶像(アイドル)とされたのみで、フラストレーションからの狂気は爆発したものの、発現はしていない。
ハーレクインとは?
インパクト能力に長けた人種の特有要素。
群衆よりも後から現れたにも関わらず、対象に最も接近・誘導し、混乱を拡大させる。
本作で描かれる彼女は、自身の思い描く理想のJOKERをアーサーに求めた。
アーサーを愛したのではなく、JOKERを欲した。
たったそれだけの女に過ぎない。
性被害やDV等をカミングアウトしてきたレディ・ガガが、そんな役柄を演じることを不遜とするのか?凄みとするか?
それはあなた次第。
フォリ・ア・ドゥとは?
フランス語「 Folie à deux 」 =「 2人狂い 」と言う感応精神病(妄想性障害 or 統合失調症をもつ個人の妄想が、その人と親密な関係にある別の個人に伝染する疾病)である。
当該言語が最も多様されるのであって、3人や4人や家族や集団を指す表現もある。
前作でも感じていた思いだが、自分の理性を健全に保てないと、アーサーの発信する負の感情に引っ張られてしまう恐怖が否めなかった。
ゆえに、アメリカではJOKER化してしまった者の事件が多発した。
社会的責任
本作は前作上映で起きた出来事に対しての最終弁論的な要素、その弁論展開を証明するに当たって触れられたくない。
見ないことにしている“真実”を該当者が突き付け、精神をえぐることを厭わない正義を示している。
キリスト教的偶像崇拝と聖書のバフリンク・アイドル(不可解な偶像崇拝)
アーサーの演じるジョーカーは、フラストレーションを抱えた民衆に求められた。
認知を求め続けて破壊されるジーザス・クライストの様ではないか?
だから、クインゼルはマグダラのマリアと思えてしまう。
そして、ジョーカーを崇拝する者たちの中から、イスカリオテのユダ(Juda)が発現する。
悪意を秘めた狂気
華ひらいた悪意と狂気は、時の経過と共に種子を蒔き、悪の華を拡大していく。
その悪意を留めるために、狂気を秘めた善意が誕生する。
近い未来にトーマス・ウェインの息子が、仮面とマントを纏った存在としてのタイトルロールが起こるだろう。
まとめ
ジョーカーの“J”は、ユダの“J”ではないだろうか?
聖書の中でマグダラのマリアとイスカリオテのユダも、全ての人間の中に必然する心的形態である。
この在り様を、否定否認せずに真っ直ぐな瞳で向き合わなければ、人間の最終目標はエゴイズムに満ちた承認欲求だけが蔓延る世界になってしまうだろう。
アーサーの存在を受け止め、自戒自省し、真なるTHE JOKERを発現させてはならないと警鐘する作品である。
あなたが自身の深淵に触れたとき、その深淵にのみこまれるのか。
それとも、あなたの眼前に伸びる階段の上から、眩しく射す陽光に導かれ悟るのか?
文・ライター:@LEDMAXI