「 ゴールデンカムイ 」漫画実写化の金字塔、1本の映画としての課題と続編について

当ページの画像はIMDbまたは公式サイトより引用
  • URLをコピーしました!

野田サトルによる、あの壮大かつ荒唐無稽な原作漫画を読んでいたら、日本での実写化など無理だと思うのが普通だろう。

予告編を見ると、確かにキャラクターのヴィジュアルは原作通りだし、公開前から評判の高さは伝わってきたが、それでも半信半疑。

ところが実際に見て驚いた。これは見事な成功作だ。

本記事では、ゴールデンカムイを深掘りしていく。

目次

ゴールデンカムイ

©︎ゴールデンカムイ

あらすじ

日露戦争で「 不死身の杉元 」と呼ばれた元軍人 – 杉元は、ある日、アイヌ民族から強奪された莫大な金塊の存在を知った。金塊を奪った男“のっぺら坊”は、捕まる直前に金塊を隠し、その在処を示す刺青を24人の囚人の身体に彫り脱獄させていたのだった。

公開日

2024年1月19日

上映時間

128分

予告編

主なキャスト

  • 久保茂昭(監督)
  • 山崎賢人
  • 山田杏奈
  • 眞栄田郷敦
  • 工藤阿須加
  • 柳俊太郎
  • 泉澤祐希
  • 矢本悠馬
  • 大谷亮平
  • 勝矢
  • 高畑充希
  • 木場勝己

公式サイト

ゴールデンカムイ

徹底考察・解説レビュー

©︎ゴールデンカムイ

まず驚かされるのは、画面に安っぽさが感じられないこと。

予想以上に金をかけて、「 ゴールデンカムイ 」の世界をきちんと再現している。

しかも実際の雪原で本格的なロケをしている。

撮影はかなり過酷を極めたことだろう。

セットやVFXも使われているはずだが、意地悪く粗探ししなければ全く気にならないレベルだ。

さらに驚かされるのは、一昔前の漫画実写化に常につきまとっていた「 なんちゃって感 」がまるでないこと。

息を呑むキャラクターの再現度

杉本役の山崎賢人はもう少し野蛮な荒々しさが欲しいところだが、アシㇼパ役の山田杏奈、白石役の矢本悠馬、土方歳三役の舘ひろし、

そして最も荒唐無稽なキャラである鶴見中尉役の玉木宏あたりは、これで文句を言ったらバチが当たるほど完璧な再現だ。

こうしてみると、一昔前の漫画の実写化には、「 しょせん漫画だから 」という上から目線や、「 漫画の映画化かよ… 」という映画人のコンプレックスが存在したのではないだろうか。

それが近年は次第に薄れ、原作漫画に対する敬意が感じられるようになってきた。

そして本作を実写化するにあたっても、「 どうせ原作そのものが荒唐無稽だから 」という言い訳に逃げていない。

現実と違うという意味では確かに荒唐無稽だが、1つの作品世界として全てにリアリティが感じられる。

これは、日本において漫画やアニメの地位が格段に向上し、もはや物語芸術のフロントランナーになったのが大きな理由だろう。

だがそれにも増して、マーベルやDCといったアメコミの映画化が、大人の観賞に値する実写作品となり、ハリウッドのメインストリームになったことが大きく影響しているのではないだろうか(ここ2年ほどで急速にその地位が揺らいでいるが)

コミックではないが、「 ロード・オブ・ザ・リング 」をお手本にしている気配も伺えた。

つまり本作の成功は、アメコミ映画や「 ロード・オブ・ザ・リング 」シリーズにも比肩しうる作品が、日本映画に誕生したことを意味している。

それは数年後の日本映画に大きな影響を与える一大事件だとさえ思う。

アイヌ文化の再現ぶりは注目に値する

アイヌ文化に特別詳しいわけでもない私には、あれがどこまで正確な再現なのか分かるわけではない。

しかしアイヌ役の人々がアイヌ語を喋り、そこに日本語字幕がついていたのは画期的な出来事であり、「 正確に再現しよう 」という敬意は明確に感じられた。

それだけで見ていて襟を正したくなる思いだった。

と、そのように賞賛に値する作品なのだが、実は1本の映画として見たとき、無視できない問題もあって、両手を挙げて絶賛することもできない。

漫画の実写化として歴史的大成功であることは前提として、その問題点はきちんと指摘しておきたい。

ゴールデンカムイの欠点①

欠点は主に2つある。

1つは「 漫画だと気にならないが、実写映画だと気になってしまう描写 」が、特に前半散見されることだ。

これは「 漫画と映画 」と言うよりも、むしろ「 文字と音声 」の違いではないかという点も興味深い。

一例を上げれば、杉本が黄金に関わる発端となる出来事だ。

脱走囚の後藤竹千代が酔っ払って、あんな重大なことをベラベラと、しかも理路整然と話し、しばらくしたら「 しゃべりすぎた 」と言って杉本に銃を向ける。

これは漫画だと不思議なほど違和感がない。

ところが実写映画になると、ありえないほど不自然に感じられる。

漫画は説明が「 文字 」でなされるため、素直に「 抽象的な情報 」として受け取めることができる。

しかし映画の場合「 生身の人間の口から発せられる音声会話 」になるため、「 普通の人間が、いくら酔っても、こんな大事なことを、こんな風に簡単にしゃべるはずがない 」という風に受け止めてしまうようだ。

また、これもさまざまな背景情報が嫌でも入ってくる映画ならではの欠点(?)で、「 杉本とアシㇼパは一体どこからどこへ移動しているんだ 」と不思議な気分になってくる。

アシㇼパの村は小樽の近くにあるのか?

これも漫画だと気にならない。

ところが映画だと気になってしまう。

このあたりは「 映画と漫画 」「 文字と音声 」による表現がどれほど違うものか、1つのサンプルとして大変興味深い。

だがそれ以上に大きな問題がある。

ゴールデンカムイの欠点②

それは本作が全31巻 / 314話の週刊連載の漫画を、頭からかなり忠実に映画化したため、1本の映画としては起承転結がメチャクチャになっていることだ。

128分間に細かい起承転結が団子状態に並んでいる印象で、「 1本の映画 」としてのワクワク感が薄い。

はっきり言えば、後半は少し飽きてくる。

この点について少し分析してみよう。

本作は、冒頭の二百三高地の戦いや過去の回想などを除くと、おおまかにこんな構成になっている。

構成

藤本が金塊のことを知りアシㇼパと出会う。

構成
承1

囚人捜しを始め白石と出会い、尾形と戦う。

構成
承2

追跡してきた谷垣源次郎らと戦う。

構成
承3

アシㇼパのコタンを訪れ、杉本は1人で旅立つ。

構成

藤本が鶴見中尉に捕まり、アシㇼパと白石の助力で脱出。

構成

杉本 / アシㇼパ / 白石のトリオで金塊探しを続けることにする。

このように分析してみると、実は1本の作品内で、起承転結の構成がきちんと取れている。

にも関わらず、実際に見ているとそういう感じがしない。何故か?

それは上映時間の大部分を占める2(承1).3(承2).5(転)が、全て「 第七師団に追われ、何とか逃げ切る 」ことの繰り返しだからだ。

ただ目の前の危機を乗り越えていくだけで、特別に何かを得ていない。

そのため、戦いを繰り返しているにもかかわらず、ステージが上がっていく印象が無い。

たとえば杉本とアシㇼパが、当初非常に険悪な関係にあったのが危機を乗り越えていく内にバディ関係になるなら、物語としての達成感(カタルシス)があるのだが、

2人は出会ってすぐにバディになる。白石も何ぶんああいうキャラなので、「 戦いを通して敵が味方になった 」という感じはほとんどしない。

そのため起承転結の構成は取れているにも関わらず、「 第七師団と遭遇→何とか相手を倒して逃げ切る」のパターンが3回繰り返されているだけ、

「 起 」の部分と「 結 」の部分にほとんど違いがないような印象になってしまうというわけだ。

ただしこれは、間違っても脚色が駄目なわけではない。

あの原作を何部作かに分けて、かなり忠実に映画化するとなれば、どうしてもこういう形にならざるをえないのだ。

あらためて原作を読み返すと、本作の脚色の上手さには舌を巻く。

原作に忠実ではあるが、当然さまざまな取捨選択や時系列の組み替えはなされていて、それらは全て的確。

エピソード1の終わりとしては、明らかにあの辺が妥当であり、そこまでのエピソードを実にうまくまとめ、映画映えするアレンジも施している。

純粋に1本の映画として見たとき、この構成上の難点が、躊躇なしに大傑作と絶賛するのをためらわせる理由になっているのは事実だ。

しかし「 あの原作漫画を何部作かに分けて、できるだけ忠実に映画化する 」という観点からすれば、こうなることは避けられず、これ以上うまい脚色は至難の業だ。

エンドクレジット

エンドクレジットについた続編の予告的な映像を見ると、そこに登場するのは

  • 二瓶鉄造(脱走囚)
  • 辺見和雄(脱走囚)
  • 家永カノ(脱走囚)
  • キロランケ
  • インカㇻマッ

ここから推察するに、3人の脱走囚との戦いが描かれた後、キロランケ、インカㇻマッと出会い、のっぺらぼうがアシㇼパの父親であると知らされたことで、

杉本チームと土方歳三チームが手を組み、網走監獄へ向かうところで終了。

第3作は網走監獄での攻防…と考えるのが妥当だろう。

それはどう考えても、内容的に第1作以上に面白くなることは確実だ。すぐにでも見たい。

物語はまだ全体の10分の1程度。序盤もいいところだ。

しかし、このクオリティで1年に1本製作はキツイだろうし、そんな無茶をやったとしても、完結までにあと9年かかる。

ゴールデンカムイの続編

姉畑先生のエピソードなど倫理的に映像化不可能なもの(笑)や、完全に寄り道的なエピソードも多いので、途中はある程度省略して、全5作くらいで無事にサーガを完結させて欲しいと願わずにはいられない。

と思っていたのだが、続編はWOWOWのドラマとして放送されることが発表された。

ただし残りは全てテレビドラマというわけでもなく、また劇場映画もあるようだ。

このテレビ / 劇場映画 / 配信を織り交ぜて長編漫画を忠実に映画化していく手法は、明らかに「 鬼滅の刃 」の成功に学んだものだろう。

できれば全編を劇場用映画にしてほしかったが、前述のように、あれだけの長編となると、劇場版だけに徹するのは確かに無理がある。

すでに述べたような「 1本の映画としての起承転結問題 」も、ドラマシリーズであれば解決できるという利点もある。

そもそも製作主体がWOWOWなのだから、当然と言えば当然の流れなのだろう。

おそらく網走監獄での攻防や、終盤の五稜郭〜暴走列車での最終決戦という大スペクタクルは劇場映画となり、その間をつなぐ、個々の脱走囚たちを追うエピソードがWOWOWでのドラマ、おそらくは配信でも見られる形になるのだろう。

「 鬼滅の刃 」に倣うなら、テレビ放送分も再編集されて劇場公開される可能性がある。

函館での最終決戦までいけば、「 全編がクライマックス 」のアトラクション感覚と「 1本の映画としての起承転結 」が両立するはずだ。

何とかそこまで到達し、日本映画史に残る名シリーズにして欲しいものだ。

欠点は指摘したが、私は本作を心から応援している。

ぼのぼの

文・ライター:ぼのぼの

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

この記事をシェア
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次