映画「 ひろしま 」オッペンハイマーでは描かれなかった、もう1つの現実がここにある【 全人類が見るべし 】
1953年、原爆投下から8年後の日本で生まれた伝説の原爆映画。
「 オッペンハイマー 」では描かれなかった、もう1つの現実がここにある。
ひろしま
公開日
1953年10月7日
上映時間
104分
予告編
なし
キャスト
- 関川秀雄(監督)
- 八木保太郎(脚本)
- 岡田英次
- 月丘夢路
- 加藤嘉
参照サイト
原爆投下から8年後に作られた原爆映画
数年前にテレビ放送されたとき録画しておいた幻の映画を、ようやく見た。
なるほど衝撃的な作品である。
映画の語り口は、少なくとも今の目で見ると稚拙で教条的な部分も多いが、原爆投下から8年後に実際の被爆者たちも大挙出演して作られたリアリティは、やはり一見の価値がある。
戦後から始まり、非常に説明的な台詞で進む導入部はいささか稚拙な、それが言い過ぎなら古風な作りで、少々不安になる。
1945年8月6日、原爆投下直後の再現はさすがに迫力があるのだが、あまり体が崩れている人はいないし、みんな服を着ているので、現実はとてもこんな程度ではなかったはずだとも思ってしまう。
もっとも現実をそのまま映像化したら、とても正視に耐えるものではないので、劇映画にするのはほぼ不可能だろう。
その具体的な描写は漫画「 はだしのゲン 」に任せておく。
ごく身近な現実だった被爆と破壊された生活
本作の真価は、むしろその後にある。
即死は免れたものの次々と死んでいく人々。
行方知れずになった肉親の死に直面する人々。
しばらくしてから原爆病(放射線障害)でバタバタ倒れていく人々。
そして親を失った戦争孤児(浮浪児)たち…
それらの描写は、原爆投下当日の描写よりもはるかにリアルに見える。
それも当然だろう。
原爆投下直後の地獄図は通常の劇映画では再現できないが、戦争と原爆によって肉体的にも精神的にも破壊された戦後の暮らしは、
出演者の多くにとって、ごく身近にある日常、今そこにある生活だったのだから。
70年以上経っても伝わる生々しい痛み
とりわけ印象に残った点は2つ。
1つは、同じ広島人の間ですら、直接 被爆して後遺症に苦しむ人たちは、そうでない者から「 原爆に甘えている 」と白い目で見られていたこと。
これは福島の原発事故の被災者に対する差別とまるで同じ構図ではないか。
どこの国にもある構図かもしれないが、日本人はこういう点で特に陰湿な傾向があるように思える。
もう1つは浮浪児たちの描写。
あそこに出てきたのが本当の浮浪児たちなのか子役なのか分からないが、前者である可能性も高そうだ。
それほどまでにリアル。
目つきから何から全ての存在感がザラザラとささくれ立っていて、生々しい危険さを身にまとっていた。
映画としての構成や演出は、そこまで傑出したものではない。
しかしそのような巧拙を超え、通常の「 よくできた映画 」では見られない生々しい痛みや怒りが、このフィルムには封じ込められている。
製作から70年以上経った今も、その鋭さは鈍っていない。
全人類が一度は見ておくべき作品だろう。
原爆の恐怖を、娯楽映画の形を借りて象徴的に描いた「 ゴジラ 」が公開されるのは、このリアリティ重視の作品の公開から1年1か月後のことである。
*2024年4月現在、モノクロの本作をカラー化したものが、ネット上で無料で見られるようになっている。ただし確認したところ、そのカラー化はかなり不自然で、塗り絵のような画質になっているため、あまりお勧めはできない。ご覧になるのであれば、オリジナルのモノクロ版をお勧めする。
文・ライター:ぼのぼの