映画「 窓ぎわのトットちゃん 」に漂う濃厚な死の匂い、原作は黒柳徹子を描いた自叙伝【 あらすじ・キャスト 】

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2023年暮れに公開されたアニメ映画「 窓ぎわのトットちゃん 」

パッとしない予告編などのイメージから、公開前に本作に期待を寄せていた映画ファンは極めて少なかった。

ところが実物を見た批評家たちが口々に絶賛したため半信半疑で見に行ったファンは、その完成度の高さに驚愕。

絶賛の渦は瞬く間に広がり、ちょっとした狂騒状態になった。

公開前の期待値の低さと公開後の熱狂の落差で言えば、2023年の公開作品中トップと言っていいだろう。

目次

窓ぎわのトットちゃん

©︎窓ぎわのトットちゃん

あらすじ

落ち着きがないことを理由に、小学校を退学になってしまったトットちゃん。新しく通うことになったトモエ学園の校長先生は、出会ったばかりのトットちゃんに優しく語りかけた。「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」トットちゃんの元気いっぱい、すべてが初めてだらけの日々が始まるーーー

公式 HPより

公開日

2023年12月8日

上映時間

114分

キャスト

  • 八鍬新之介(監督・脚本)
  • 黒柳徹子(原作)
  • 鈴木洋介
  • 出演 大野りあな
  • 小栗旬
  • 役所広司

予告編

公式サイト

窓ぎわのトットちゃん

大多数の予想を裏切る傑作出現

©︎窓ぎわのトットちゃん

「 窓ぎわのトットちゃん 」の原作は、タレント・女優の黒柳徹子が自らの幼少期について書いた自伝的物語で、1981年に出版されるや戦後最大のベストセラーとなった。

さらには各国語に翻訳され、2023年には全世界での累計発行部数が2500万部を突破。単一著者による自叙伝では最高部数としてギネスブックに載ったほどだ。

そんな大ベストセラーだが、私は恥ずかしながら読んでいない。

「 ザ・ベストテンの司会者の自伝なんか読んでいられるかよ!」という、若者らしいちょっととんがった姿勢(笑)で拒否していたわけだが、このアニメの内容は原作にかなり忠実らしい。

だとすればもったいないことをしたものだ。

認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを…

時代的に早すぎた子どもたち

©︎窓ぎわのトットちゃん

この映画で特に心を打たれた点は主に2つある。

1つは、他の学校で問題児扱いされ、トモエ学園に転入してきた主人公トットちゃんのADHDとアスペルガーが混ざったような性格・心理・行動…これが、子どもの頃の自分とあまりにもそっくりなのだ。

「 お前は俺か 」レベルによく似ている。

今でこそ発達障害という概念が広まり、教育の場にはそれなりの対応マニュアルも存在するようだが、そんな言葉も概念も無かった時代、トットちゃんや私のような子どもは、本当にツラい目に遭ったものだ。

トットちゃんよりは少しマシだったと思うが、小学校時代ずっと問題児扱いだった自分の子ども時代と重ねあわせ、あのような理解ある学校・教師と出会えた彼女をうらやましく思った。

そして自分がこの学校に入っていたらどんな子ども時代を過ごしたことだろうと想像しつつ、彼女が成長していく姿に強く惹きつけられた。

日常生活を病のように蝕む戦争

©︎窓ぎわのトットちゃん

もう1つは後半、戦争が幸せな生活を破壊していく描写の恐ろしさだ。

戦火の直接的な描写こそ少ないが、それ以外の部分で戦争が病のように日常生活を蝕んでいく恐さに関しては、「 この世界の片隅に 」を凌ぐと言ってもいい。

これは予告編などからまったく伝わってこなかった要素であり、多くのファンが実物を見て驚愕した理由だ。

傷病兵の失われた足だけを大写しにして他を見せない不気味さ。

いつの間にか女性に代わっている駅員。庭のワンショットで〈 家族 〉がもうこの世にいないことを分からせる描写…後半には濃厚な「 死 」の影が満ちている。

小林先生の最後の登場シーンも、もちろん感動的ではあるのだが、そこには少なからぬ狂気が漂う。

光った目が最後まで残るホラー映画さながらの描写は、明らかにそちら方面を狙った演出だろう。

すぐそこにある「 死 」

©︎窓ぎわのトットちゃん

戦争が直接関係しないシーンでも、死の影は色濃く感じられる。

それが自分の子ども時代、「 死 」というものを理解するようになった頃の記憶と相まって、息苦しいような思いに襲われた。

私も子どもの頃、縁日のヒヨコが欲しいとさんざん駄々をこねたことがある。

「 ああいうものはすぐに死ぬからダメ 」と同じ事を親から言われ、ついに買ってもらえなかった。

もし買っていたら、トットちゃんとまったく同じ経験をしたことだろう。

そして「 おいおい、危ないぞ 」と思わず声を出したくなったラストシーン。

鑑賞後に、トットちゃんが抱いていた弟が幼くして死んだ史実を知ると、あの場面に対する印象が、さらに不吉なものへと変貌する。

あのとき弟はあちら側の世界に招かれ、トットちゃんもあと一歩のところまで近づいていたのだろう。

そういう意味あいがなければ、あんなシーンをラストにする意味がない。

このような不吉な演出の数々、予告編を見て感じるほのぼのしたイメージとは対極にある禍々しさこそ、本作を奥深い作品にしている大きな要因だ。

作劇上の欠点と言えるのは、前半が細かいエピソードの積み重ねなので、中だるみがあること。

しかし死と戦争の影が濃くなり、ある劇的なエピソードを境に、物語が一挙に悲劇的要素で埋め尽くされていくと、そのような中だるみさえも平和で幸福だった時代の良さに思えてくる。

最後に

極めて個人的な話だが、私は18年以上にわたって東急大井町線沿いに住んでいたため、本作の舞台となる自由が丘は、かつて庭のような存在だった。

戦前 〜 戦中の話なので建物はもちろん違うが、街の構造や鉄道の位置など、チラホラ当時を彷彿とさせる光景が出てきて、懐かしさで胸がいっぱいになった。

まったくなぜその頃に原作本を読まなかったのか…

「 窓ぎわのトットちゃん 」よりも後、テレビ業界に入った頃の黒柳徹子を描いた自叙伝が「 トットチャンネル 」

こちらも原作は読んでいないが、大森一樹監督 / 斉藤由貴主演による映画は見ている。

あまりにも作品の肌触りが違いすぎて、この映画のトットちゃんと、あの映画の斉藤由貴が、同一人物としてまったく結びつかない…

執筆者

文・ライター:ぼのぼの

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