サヘル・ローズ 初監督作品『 花束 』を語る、7年間で変化した自身とキャストたちの成長(取材)

当ページの画像はIMDbまたは公式サイトより引用
サヘル・ローズ
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筆者がサヘル・ローズさん(以下、サヘルさん)に初めてお会いしたのは、2024年の暮れ。

別媒体での仕事だった。

人混みが苦手な筆者、取材レポや舞台挨拶ではいつも隅にいる。

最近では「 目線、こっちくださーい!」と声を張り上げ、舞台上の撮影もできるようになったが、その日はできなかった。

サヘルさんの講演会ということもあり、場内は熱気で凄かったからだ。

私は、そこが控室とも知らず「 あ、ここで心を整えよう 」と、ある部屋に入った。

すると一人の女性が「 席、ありますか?」と声をかけてきてくれた。

私の緊張の様子が伝わったのだろうか、その人はそっと肩をさすってくれた。

それが、サヘル・ローズさんだった。

「 私の傷ついた過去が誰かのためになるなら 」と、本や映画、講演会を通し、社会啓蒙活動をする彼女との最初の出会いだった。

サヘル・ローズ

イラン出身。7歳まで孤児院で過ごす。養子縁組後、8歳で養母と共に来日。舞台『恭しき娼婦』では主演を務め、主演映画『冷たい床』ではミラノ国際映画祭をはじめとする様々な映画祭にて賞を受賞。映画・舞台への出演だけでなく、近年では演出などマルチに活躍。2024年からはKaneboのCMに起用されるなど、表現者として活動の幅を広げている。芸能活動以外にも個人で国内外問わず様々な支援活動を続け、2020年にはアメリカで人権活動家賞も受賞。2023年にはGIORGIO ARMANI「クロスロード」の日本代表にも選ばれた。

ドキュメンタリー映画『 花束 』トークショーレポ

目次

まるで旧知の仲のような再会

©︎『 花束 』

インタビュー2日前、私は劇場でサヘルさんの初監督ドキュメンタリー映画『 花束 』を鑑賞。

アフタートークショー撮影時、当時もまだ「 目線くださーい 」が言えなかった私は、そっと手を振った。すると彼女は私に気付いてウィンクしてくれたのだ。

一度しか会ったことのない、一介のフリーライターの私にだ。

そして帰り際、サイン会で忙しい彼女に一言、挨拶すると、「 インタビューは、ぜひ対面でしましょう 」と言われた。

「 でも、サヘルさんはタレントさんだし、撮影秘話とか誰かに聞かれたら困りますよね。今回はオンラインでいいですよ 」と私が言うと、彼女は私の目をしっかり見つめて、

「 大丈夫、私、スタバでもどこでも平気です。おうちはどこですか?近くに行きます。こういうのはね、絶対に会って話さないと伝わらないです 」

会って話して理解し合う、この意味が分かるエピソードを1つ挙げよう。

サヘルさんに質問するといつも必ず最初に「(私を知ろうという質問を)ありがとうございます 」という言葉から始まるのだ。

インタビュー当日、彼女は窓際に座り話してくれた。

ーーサヘルさん「 ありがとうございます。(児童養護施設出身という)当事者を主役にしたお芝居を考えていました。ドキュメンタリーをつくるつもりはなかったんです。さまざまな生い立ちを持っている子たちが自己表現できる環境づくりをしたかった。多様性、それがサヘルローズという媒介を通して発信できればと思いました 」

それはまだ当時、誰も着手していない手法であった。(のちにパンフレットでは『実験映画』と記されることになる)

ーーサヘルさん「 私はあくまでも企画をした側の人間として、裏で支えようと思いました。でも、コロナの影響で、キャストの彼らに会えたのは2020年の7月7日、七夕の日でした 」

サヘルさんは「 会いたかった織姫と彦星が会えたこと 」にちなんで、この日、全員に会えたことを不思議だと語った。

構想から作品完成まで約7年。制作過程で成長していく登場人物たち、そして、監督サヘル・ローズと彼らの関係が変わってきたのが、何よりも大きいと語った。

©︎サヘル・ローズ

ーーサヘルさん「 彼らには、私という人間の生い立ちについて、少しは話していましたが、やはりちょっと違った立ち位置でした。でも、私は同じ土台に立っていたかった。結果的に監督をやることにはなりましたが、偉いわけではない。常にみんなと同じ目線で物事を見ていたかったんです 」

しかし、その途中には疎外感を感じたり、撮影後に涙を流すこともありました。

自分は彼らを引っ張ることができないのではないか、そう苦悩したと言います。

しかし、気付けば、周囲の方がサヘルさんに気を遣ってくれていたそうです。

『 サヘルさんがやりたいようになっていますか 』『 これで良いですか 』そのような声掛けで彼女は、「 信頼関係が生まれました。この7年間で一番私が嬉しいと思った瞬間です 」

と、本当に嬉しそうに溜息交じりに話してくれました。

結果的に、この映画は皆の「 帰る場所 」になっていた

最初は、さまざまな生い立ちを持っている子たちが、自己表現できる環境づくりを目指したいと言っていたサヘルさんに、今、その結果どうなっているか尋ねました。

ーーサヘルさん「 いつできるんだろう、と待っていた。自分たちにとっては帰れる場所になったと言ってくれたキャストがいるんです。その言葉がすごく嬉しくて!私の中でも『 映画花束チーム 』は心が落ち着く場所。キャストと会うとホッとし、そしてお互い1つの目標に向かって進んでるんですよね 」

撮影開始当初はまだ若く、時にあどけなさや危なっかしさを残していた彼らは、2025年現在、それぞれの居場所を見つけ、活動や発信をしている。

それらの多くが自分たちの生い立ちを通じて、誰かの心の糧になれば、という気持ちが根底にあるのを感じる。

それはまさにサヘルさんが彼らにしてきたことなのだ。

作中の芝居舞台をクリスマスにした理由

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ーーサヘルさん「 私、クリスマスが大嫌いな時期があったんですよ 」

サヘルさんがこのような強い言葉を使うのは珍しい。理由を尋ねると、彼女はこう答えた。

ーーサヘルさん「 クリスマスは、親がいてもいなくてもやってくる。ある家庭ではきらびやかなクリスマスツリーを飾る家もあれば、きっとクリスマスツリーなんて飾れない、クリスマスのプレゼントも買えない事情を持っている人もいます 」

彼女がクリスマスシーンを使いたかったのは、そこにイエスキリストの存在もありました。親そのものを否定したり、親を罪人にして解決するものではなくて、親も苦しんでる。どんな人も罪を犯している。

そういう意味をこめてクリスマスを題材にしたそうです。

そして、この作品の中で初めてエキストラを使ったのも、このクリスマスシーンでした。

ーーサヘルさん「 この方たちは社会の傍観者を表しています。傍観者である社会がそれをどのように見るか、気づくか。そういう私のメッセージを入れたかったんです 」

実際、そのメッセージは社会の傍観者の人たちだけではなく、親たちにも伝わりました。アフタートーク後、声を掛けて下さる大人がたくさんいらしたそうです。

ーーサヘルさん「 ご自身もアルコール中毒だった。自分も子どもを育てることを放棄してしまった。もし許されるなら今、我が子に連絡したいとおっしゃった方もいました。あのクリスマスシーンは、もしも親がこれを見ていたら気づいてほしいという私の気持ちです。一緒に立ち上がれるし、あなたを別に罰したいわけではありませんということを伝えたい 」

児童養護施設という特殊な環境で育った子どもたちのことを知ってほしい、それだけではなく、実は、子どもと一緒に生活できなかった親にも、一緒に立ち上がろうという、サヘルさんの隠されたメッセージが込められた本作品。

まとめ

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やっとこの記事が終わりになってきた頃、息子が書斎に入ってきて言った。

「 あ、僕、この人知っているよ 」と、サヘルさんの写真を見る。

理由を尋ねる私に息子は言った。

「 小学生新聞だっけ。連載していたよ 」

私は思い出した。そうだ。あの時から私はサヘルさんに出会っていたのだ。

あの頃、私は孤独だった。自分で決めたこととはいえ、息子を守るためにホームスクールを1年間、一人でやっていた。

たしかサヘルさんは、記事の中で「 なんでも話していいんだよ 」というようなことを書いていらした。

あれから数年経ち、彼女はこの作品を通して「 チーム 」を知り、息子は復学して友だちもいる。

時に、私の選んだライターという仕事は孤独であるが、それでもいつか読者の方とつながる時が来ると信じている。

誰も取り残されない社会。この作品には、そんな大きな命題があるように思えた。

執筆者

文・ライター:栗秋美穂

NHKオンデマンド「 サヘルと8人の子どもたち 」

「 これから大人になるアナタに伝えたい10のこと 」(サヘル・ローズ著)

人間・佐藤浩市のまなざしあっての作品だった理由を探る(サヘル・ローズ初監督作品『花束』)

サヘル・ローズ

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