【 ネタバレあり 】ドキュメンタリー映画「 大きな家 」感想レビュー、「 どんな環境でも自己ベストは出せる 」

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私の息子が未就園児だった頃の話だ。

近所に「 小学生たちが遊んでくれる広場がある 」とママ友が教えてくれた。

私は彼女に尋ねた。「 午前中に小学生が?不登校? 」

彼女は言葉を濁しつつ言った。「 えっと、ジドウヨウゴシセツ 」

もう一度、彼女が教えてくれてやっと頭の中に漢字が浮かんだ。

「 児童養護施設 」

聞いたことはあったが、聞き慣れない言葉だった。

その頃の私は「 大丈夫なの? 」と、不安と偏見でそのような聞き方をした。

その友達に私の人格を疑われそうで、なんとなくぎこちなくしていると、「 私も最初、そうだったから分かる。でもみんな優しくて子ども好きだから、親の代わりに遊んでくれる。楽だから行こうよ 」

かわいいのだが、手のかかる息子と毎日マンツーマン育児の私は疲弊しきっていたこともあり、「 遊んでくれるなら 」と、まるで彼らをシッター代わりのように思い、約束の日を迎えた。

それから数年後、私はフリーライター、主にドキュメンタリー担当のライターになり、児童養護施設を取り上げたドキュメンタリーを見つけた。

いつも書いているジャンルではなかったが、私は「 会いたい 」となぜか思ったのだ。

こちらからプレス参加を申し出て、積極的に向かったのには、あの日、息子と遊んでくれたお姉ちゃん、お兄ちゃんたちが、あの頃、どんなことを思って、暮らしていたのか、知りたくなったからだ。

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【 舞台挨拶レポ 】ドキュメンタリー映画「 大きな家 」竹林監督と齊藤工が語る制作秘話

目次

大きな家

©大きな家

公開日

2024年12月6日

上映時間

123分

予告編

キャスト

  • 竹林亮(監督)
  • 齊藤工(企画・プロデュース)

公式サイト

大きな家

10秒83の自己ベスト記録

誰よりも日に焼けた上腕、筋骨隆々の手足、サングラスに隠された彼の目は何を追っていたのだろうか。

スローモーションで画面いっぱいに、駆け込むように、なだれ込むように走ってくる青年。

ドキュメンタリー映画「 大きな家 」のラストシーンだ。

「 とにかく前のめりになって、もう引き返せない、そんな感じでグイグイ引っ張られる 」

自己ベストを出すときの自分を、その青年はそんな風に表現していた。

私は思わず手を広げたくなり、誰もいなくなったプレス席でそっと手を広げた。

「 さあ、来いっ、全力で! 」

私は心の中で叫んで、彼のタイムが出るのを待った。

走り終わった彼が天を仰ぐようにしたとき、スクリーンに「 10秒83 自己ベスト 」と数字だけが映し出された。

そこで映画は終了した。

ほんの少し広げた手は汗をかいていた。一人でプレス席を後にした。

一般客の間を縫うようにして上映室を出た。トイレで思い切り息を吸い込んだ。

「 日本のドキュメンタリー、捨てたもんじゃないな 」

生意気駆け出しライターの私は、最後の演出にノックアウトされた。

このシーンは、養護施設を出たあとの彼らの理想の姿であり、制作側の「 希望の光 」だったのかもしれない。

簡単なお涙頂戴はいらない、ライターとして冷静に考察メモを取っていたが、途中でメモが終わっていた。

吸い込まれたのだ、監督の見事な演出に。

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話は息子と児童養護施設を訪れたときに遡る。

まだ小さかった息子と初めてその場所に行ったとき、お姉ちゃんたちはすぐに息子を抱っこしてくれた。

お兄ちゃんたちはミニカーで遊んでくれた。

随分と、子ども慣れしているんだな。そんな風に思ったことを思い出した。

映画の中で養護施設の職員が放った言葉「 自己肯定感 」という言葉を聞いたときに、あのときの息子と彼らを思い出した。

彼らはもしかしたら、子どもなんて好きではなかったのかもしれない。

ただ、私たち母親に「 遊んでくれてありがとう 」と言われたかっただけなのかもしれない。

はじめての育児で精一杯の私はそこまで気付くことができず、なんとなく罪悪感というか「 感謝のしるし 」と称して、それからはその児童養護施設にお菓子を持っていくようになった。

しかし、この映画を見て、あのときの私は単に「 施し 」をしていただけだと思った。

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映画で描かれていた児童養護施設はとても「 大きな家 」で、室内は清潔で、いつもおいしいご飯が出てくる。

それぞれに個室が与えられ、机と箪笥もある。

洗濯物はちゃんと自分で部屋に持ち帰り、整理整頓もできているし、生活習慣も身に付いている。

テスト前には勉強もするし、日々の宿題にもきちんと取り組む。

職員の人たちは、子どもたちの卒業式では誰よりも早く泣き、

児童養護施設を出て行ったあとに連絡がつかなくなった子を訪問もする。

心から、彼らを思っている。

感情のコントロールができない小さな子を「 個別外出 」といって、職員は子どもと2人きりで電車に乗ってどこかへ行く。

親を独り占めしたいという幼心まで把握し、本当に「 暖かくて大きな家 」なのだ。

彼らは住人なのか、家族なのか、ただの同居人なのか

常に多くの他人が住む大きな家。そこに暮らす人々が思うことはさまざまだ。

「 友達よりは濃い、でも血が繋がってないから兄弟とも違う 」

「 家族とは言えないな 」

「 お兄ちゃんがいるんだけど、ここの友達とは喧嘩する 」

「 実家でもないし、家でもない 」

彼らは血は繋がっていないが、同じ環境で育っている。

誰かの誕生日には必ずケーキを買い、皆で祝って一緒に食べる。

季節の行事も大切にする。

12月25日は皆、早起きしてクリスマスツリーの周りに集まった。

顔がカメラにぶつかりそうになるのも恐れず、何度も部屋を行ったり来たりする。

血は繋がっていない、確かに。

だが、喜ぶ気持ちも怒る気持ちも、「 普通の子ども 」と何ら差はない。

そういう意味で「 普通の彼ら 」も、成長とともに口数の減る子や、スポーツに励む子、それぞれが「 大きな家 」以外の居場所を探すようになる。

それも「 普通の子 」と変わらない。

ただ一つ違うのは、他人同士で暮らしていること。

コミュニティよりも濃く深い、長い時間。

しかし、家族ではないもどかしさ。

「 家族みたいなもんだから 」と言えたらいいのに、似たような言葉を言う子はいなかった。

そして誰一人、親を責める子はいなかった。

ラストシーンで自己ベストを出した青年の言葉が忘れられない。

「 嫌なこともあった。何でこんなに注意されるんだろうとか 」

児童養護施設を出て一人暮らしをしている彼は、ことあるごとに「 大きな家 」にやってきてはご飯を食べる。

「 皆揃ってご飯食べるのが一番楽しい。ここでは何もしない 」

冷蔵庫を開ければ当たり前のように何か食べるものがあり、それを食べて、食器を洗うこともしない。(それが実家だよ)私はクスッと笑った。

会ったことのない母に会って、決着を付けようとしていた彼。

エンディング、それぞれの子どもたちが「 大きな家 」を見つめる後ろ姿が順々に映し出される。

それぞれの子どもたちのエピソードが浮かんできた。

彼らは決してかわいそうな子ではなかった。

少なくとも私は「 息子にもあんな風に自己ベストに向かう子になってほしい 」と思ったのだから。

2時間の映画なのに、多くの子どもたちと人生を共にしたような不思議な感じがした。

息を殺して青年の自己ベストを願った私にも、男の子がいる。

試写会はいつも夜なので、息子が寂しがる。

この日は、上映終了後にスマホの電源を入れると息子からメッセージが入っていた。

「 ママ、お仕事がんばったね。おやすみなさい 」

 私は母に戻って、70平米の「 大きな家 」に帰った。

執筆者

文・ライター:栗秋美穂

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