第16回 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル大賞作品

1935年、三重県生まれ。在日朝鮮人2世。神奈川県在住。1949年に東京朝鮮中等学校に入学した朴壽南は、1950年の朝鮮戦争を経て、1963年の小松川事件の在日朝鮮人の李珍宇(イ・ジヌ)少年死刑囚との往復書簡『罪と死と愛と』(三一書房)で注目を集める。
148分という長編だが冗長さが全くない
焼肉店を経営しながら、作家となり「 震える声は文字では伝わらない 」と映画監督となったパク・スナム氏が残した膨大なフィルム。
彼女の作品のことを「 フィルムを構成し直しただけ 」という人がいたら、筆者はその人を残念な人だと思う。
在日朝鮮人2世で、美貌と叡智を兼ね備えた一人の女性、パク・スナム氏の「 信念 」を表した人物ドキュメンタリーとして、本作品を考察していく。
さて、ドキュメンタリーの題材はおおまかに分けて2種類あると思っている。
一つは自身の近辺を題材にしたもの。
もう一つは「 この人の生き様を伝えたい 」と追いかけたもの。
だが本作はどちらにも当てはまらない。誰のためでもない、見ず知らずの同胞のために作られた「 歴史の記録 」である。
冒頭のシーンが秀逸だと筆者は思う。
娘であり、本作の共同監督を務めた麻衣さんが、自宅でスナム氏に尋ねるのだ。
「 お母さん、作品を分かりやすく説明して 」
「 分かりやすくだって?そんなことしたら意味がないだろう 」
「 お母さん!カメラ回ってるの!」
「 事実の記録だよ!ったく、相性の合わない娘だねぇ 」
「 もう……相性の合う人がどこにいるのよ……」と呆れる麻衣さん。
この冒頭のシーンは私の緊張を払拭したてくれた。
本作品の時代を知らない筆者が、何を考察できるのだろうと不安だったからだ。
しかし、このやりとりのおかげで、若い世代もクスっと笑いながら「 その壮絶な事実 」の中に入っていける。偶然かもしれないが、見事な誘導だったと思う。
そしてこの後、スナム氏の強さと行動力、そしてどこから湧いてくるか分からない使命感。それらによって次々と暴かれる事実にひきずりこまれ、148分はあっという間に過ぎる。
「 まぎれもない事実、あったことはあったことなんです 」と、スナム氏が声高に言い続け、撮影を重ねた16㎜フィルムが今、娘であり、共同監督の朴麻衣さんの手によって日の目を見た。
奪われた人たちの追憶
日本人と朝鮮人との間に起こったさまざまな事実、証言の声、一瞬たりとも逃せないと思い、汗ばむ手で殴り書きされた筆者のメモを、視聴から一日経て、見返していると、作品が鮮明に思い出されてくる。
本作品上映後の夜は眠れなかった。なぜなら筆者は以前あるPR会社の広報に「 言う通りの記事を書くように。できなければ白紙にする 」と言われた経験があるからだ。
怖くて結局白紙にした自分と、無力なフリーランスの立場を改めて思い出した。
私は、忘れられなかった。
言った方は忘れても言われた方は覚えている。
「 あったことはあった、それをなかったことにはできない 」
本作品で監督が一番伝えたかったことに、私は深く共感する。
上記の記事を書いて3日目
「 このドキュメンタリーは、歴史の記録であると同時にパク・スナムという一人の女性の人物ドキュメンタリーでもある 」
ドキュメンタリー監督の大島新氏が、この作品を講評した言葉を思い出した。
そう、このドキュメンタリーは2つのテーマが交錯しているのだ。
「 歴史 」と「 パク・スナムという生き方 」
歴史はあまりに根深く、たった数千字で、当事者でもない私が書けることではない。
そして、逆に書いてはいけないと考えなおした。
パク・スナム監督は、文章では表せないと思い、作家から映画監督に転身したのである。
読者の皆様にも、ぜひ、この作品は最初から目をそらさずに、ご視聴いただきたい。
筆者はパク・スナムという生き方に焦点をあてて書く。
その生き方のひとつは著書となりベストセラーになった。
プロフィールにある「 罪と死と愛と 」である(現在、絶版)
1958年8月17日、小松川高校生殺人事件が発生。朴壽南(パク・スナム)は減刑運動に参加し獄中の李珍宇(イ・チヌ)に面会を始め、文通や本の差し入れなどを行う。面会室は民族の魂と言葉を取り戻す教室になった。少年法が適用されず異例の早さで死刑を執行されるまでに朴壽南と交わした往復書簡はベストセラーとなった。※ 小松川女子高校生殺人事件
この中にも記載されているが、大岡昇平ら多くの著名人が「 日本人としての責任 」について言及している。
この著名人たちの思いの裏には、もう一つの犯人像があった。
イ・チヌは日本名、金子鎮宇(かねこしずお)と名乗り、極貧の現実から抜け出すため、日本人のふりをし、優秀な成績で中学校を卒業。しかし「 お前は朝鮮人だ 」という理由一つで、すべての就職の門を閉ざされ、八方ふさがりの中で首をつって自殺をはかった。
また、特筆すべき点は、被害者の母である「 太田よね 」さんと監督との交流である。
パク・スナム監督は太田さんに「 加害者の救命運動を許してほしい 」というのである。
被害者の親が、加害者を許すわけがない。
そのような願いをしても門前払いをされるだけである。
しかし、監督はそうは思わず、許可を取りにいくのである。
この行動はなんであろうか。なんと表現すればいいのか、筆者は広辞苑から思いつく言葉を拾い出しては類似語を探すが、結局、見つからず、執筆は止まった。
上記の記事を書いてから5日目:締め切り迫る
いつまでもこの作品を放置しておくわけにはいかない。
私はこの作品を届けたいし、届けなければいけない。
ふと、以前お世話になった編集長に言われた時のことを思い出した。
記事を白紙にさせられたことである。
「 あなたは『 これからの人 』です 」と、励ましてもらった時のことを。
これからの人……。
太田よねさんはパク・スナム監督に言うのだ。
彼(チ・イヌ少年)が死んでも娘は帰ってこない。立派に成人してこそ、償われる(中略)
パク・スナム監督も太田よねさんも、少年の「 これから 」を思っていたのだろう。
パク・スナムという女性は、「 あったことをなかったことにはできない 」という強い信念を持ちつつ、常に「 これから 」を見て歩んできた人なのである。
そして今も、歩み続けているのだ。
やっと見つかった。パク・スナム監督の行動の理由が。
監督にはご自身の「 過去も未来も見続ける 」という哲学がある。
そしてそれに沿って戦ってきた人なのである。
現在、『よみがえる声』のクラウドファウンディングを募集中です。

文・ライター:栗秋美穂