伝説的音楽ドキュメンタリー「 ストップ・メイキング・センス 」2024年だからこそ感じる不満の正体

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トーキング・ヘッズのライヴを、「 羊たちの沈黙 」で知られるジョナサン・デミがとらえた伝説的音楽ドキュメンタリー。

40年も前のライヴフィルムが4Kレストアされ、IMAX画面に甦る。

目次

ストップ・メイキング・センス

©Stop Making Sense

あらすじ

トーキング・ヘッズの伝説とも言われる、1983年12月ハリウッド・パンテージ・シアターでのライブ。デイヴィッド・バーンらによる躍動感溢れるパフォーマンスに、能楽からインスピレーションを得たというシンボリックな「ビッグスーツ」、エキセントリックなダンスとエキサイティングな演出が加わった、史上最高と称される圧巻の舞台だ。1992年から人知れず眠っていた本作のネガを執念で探し出し、サウンドはジェリー・ハリスン自ら監修した完全リマスター。収録から40年を経ても全く色褪せないこの最高級エンターテインメントを、A24が4Kレストア版でスクリーンに復活させた!!2023年のトロント国際映画祭で行われたワールドプレミア上映にはオリジナルメンバーが集結!世界160以上のIMAXスクリーンでライブストリーミングされ、IMAXの1日のライブイベントとしては史上最高の興行収入をたたき出している。バンド結成50周年!ストップ・メイキング・センス映画公開40周年!!インタビューなど一切なし。ひたすらに音楽を浴び続ける熱狂の89分!!

公式サイトより引用

公開日

2024年2月2日

原題

Stop Making Sense

上映時間

89分

予告編

キャスト

  • ジョナサン・デミ(監督)
  • デビッド・バーン
  • クリス・フランツ
  • ティナ・ウェイマス
  • ジェリー・ハリソン
  • スティーブ・スケールズ
  • リン・マブリィ
  • エドナ・ホルト
  • アレックス・ウィアー
  • バーニー・ウォーレル

公式サイト

ストップ・メイキング・センス

40年前のライヴフィルムがIMAXに

©︎Stop Making Sense

数ある音楽ドキュメンタリーの中でも、1980年代を代表する作品として必ず名前が上がるのが本作。

トーキング・ヘッズのライヴパフォーマンスをとらえた「 ストップ・メイキング・センス 」(1984年)だ。

監督は「 羊たちの沈黙 」(1990年)でアカデミー賞を獲得するジョナサン・デミで、それ以前の代表作として知られる。

筆者が最初に見たのは2000年のリバイバル時。

場所は渋谷PARCO PART IIIの上にあったシネクイント。

実に24年ぶりの鑑賞だ。

しかし、製作されたのはさらに前の1984年だから40年も前。

いかに4Kレストアを施しても、そんな時代のライヴフィルムをIMAXで上映するなどいう無茶が通用するのか?

画質の悪さが目立つだけではないのか?

そんな興味を持って見直したのだが、結果は驚愕ものだった。

まるで最初からIMAX上映用に作られたかのような映像と音響。

同じ4Kレストアと銘打たれていても、数年前の作品とはまるでレベルが違う。

近年のレストア技術がいかに目覚ましい進歩を遂げているか思い知るだけでも、見る価値がある。

個人的に感じる居心地の悪さは何だ?

作品の内容は当然素晴らしい。

トーキング・ヘッズの演奏はもちろんだが、それをとらえる撮影も編集も、当時のライヴフィルムとしては最高レベルにある。

IMAX上映で、映像も音響もマシマシの迫力なので、普通に劇場の椅子に座って見るのが苦痛なほどだった。

いや、周りの迷惑にならない程度に体は動かしていたが…。

間違いなく優れたライヴフィルムであり、伝説的な音楽ドキュンタリーとして語り継がれるのも当然だろう。

それを大前提とした上で、2000年に初めて見たときと同様、ある種の違和感というか、居心地の悪さを、今回も感じた。

極めて優れた映画ではあるが、やはりこれは自分の映画ではない…という思い。

その主な理由を2つ書いておこう。

実は勢いで誤魔化されていないか?

1つ目は、つまるところトーキング・ヘッズの音楽そのものに対して。

トーキング・ヘッズのライヴは、知的でありつつ躍動感に溢れている。

黒人ミュージシャンのサポートが大きいとはいえ(かつて渋谷陽一はこの観点からヘッズを批判していた)、ライヴバンドとしてのグルーヴは凄まじいものだ。

しかし延々と聞いていると、「 これってただひたすらノリがいいだけじゃないのか?このグルーヴを取ったら何が残るんだ? 」という思いも沸き上がってくる。

楽曲の複雑な構成も、緻密な演奏も、デイヴィッド・バーンのひねくれた歌詞も、全てが高度なレベルにあり、美的・感覚的な感動は凄まじいのだが、感情面に訴え、魂を揺るがすような感動が薄い。

後半になるに従い、圧倒的な勢いで誤魔化されているような気分になってくる。

この傑出したライヴフィルムを見ていると、トーキング・ヘッズというバンドの優れた部分がよく分かると同時に、「 でもこれは自分にとって魂の音楽ではない 」という思いも抱いてしまうということだ。

進化形としての「 アメリカン・ユートピア 」

もう1つの理由は、2024年の今だからこそ感じてしまった物足りなさ。

「 本作も十分に素晴らしいのだが、デイヴィッド・バーンのライヴステージをスパイク・リー監督がとらえた『 アメリカン・ユートピア 』(2020年)の方が、あらゆる意味でさらに凄くないか? 」というものだ。

今回見て気が付いたのは、本作におけるデイヴィッド・バーンのパフォーマンスが極めて演劇的だということだ。

パントマイム的であり、モンティパイソンっぽくもあり、フレッド・アステアの物真似まである。

バーンは大学かどこかで演劇を専門的に学んだ過去でもあるのでは?と、後で調べてしまったほどだ(調べたかぎりでは見当たらなかった)。

同時に気付いたのは、それらがあくまでも演劇” 的 “なものであり、パッチワークのようにバラバラに散りばめられているに過ぎないということ。

あくまでもライヴバンドとしての演奏が主で、演劇的な要素は時に生煮えのまま放り出され、コンセプトとして完成されていない。

ここまで書けば、もう何を言いたいか分かるだろう。

「 ストップ・メイキング・センス 」においては未完成だった「 演劇的 」な要素を、完璧な「 演劇(ミュージカル) 」として昇華させたのが「 アメリカン・ユートピア 」だということだ。

両方の作品に共通する曲が4曲ほどあるので、Apple Musicで聴き比べてみた。

有無を言わせぬグルーヴの凄さではもちろん「 ストップ・メイキング・センス 」の方が上。

しかしそれは前述の「 勢いで誤魔化されている 」感覚にも通じる。

「 アメリカン・ユートピア 」の演奏の方が奥が深く、豊かに感じられる。

「 ストップ・メイキング・センス 」は極めて優れたライヴフィルムだ。

しかし2024年の目で見てしまうと、「 ライヴフィルム 」としても「 演劇(ミュージカル) 」としても完璧で、何ひとつケチのつけようがない「 アメリカン・ユートピア 」のプロトタイプではないかという思いにとらわれる。

デイヴィッド・バーンの見事な成熟

それにしても驚くべきは、デイヴィッド・バーンの見事な成熟ぶりだ。

このようなダンスフロア向けの、ロックとファンクと混ぜたような音楽は、ミュージシャンが若い頃はよくても、歳をとれば年齢的な衰えがそのまま反映されるのが普通だろう。

ところが「 ストップ・メイキング・センス 」と「 アメリカン・ユートピア 」を見比べると、基本的な方向性は変えることなく、その音楽をさらに拡大進化させ、若い頃にはなかった豊かさと奥深さを身につけているのだ。

ここまで理想的な成熟を遂げたロックミュージシャンは数えるほどしかいないのでは。

その意味で「 ストップ・メイキング・センス 」と「 アメリカン・ユートピア 」は必ず両方とも見るべき作品だ。

この2本から見えてくるデイヴィッド・バーンの成熟は、ある種の大河ドラマ的な感動を呼び起こし、音楽とは何かといったテーマまで考えさせられる。

そんな稀代のライヴフィルム2本だ。

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