「 未来を写した子どもたち 」インド最大の闇”売春窟”に写真家ザナ・ブリスキが迫る

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未来を写した子どもたち
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インドの売春街で生まれ育った子どもたち。

写真家のザナ・ブリスキからカメラを与えられ撮影の手ほどきを受けた彼らは、素晴らしい才能を発揮する。

ブリスキは、この写真を通じて子どもたちに今とは違う未来を示そうとするが、そこには多くの困難が待ち構えていた。

※ 本作は、アジアンドキュメンタリーズで配信されている作品です。

目次

未来を写した子どもたち

未来を写した子どもたち
©︎Born into Brothels: Calcutta’s Red Light Kids

あらすじ

インドにあるアジア最大の売春窟に暮らす子どもたちが、写真撮影を通じて、今まで知らなかった外の世界へと飛び出していく姿を追ったドキュメンタリー映画。セックスワーカーたちの取材・撮影を続けてきた女性写真家が、子どもたちに写真を教えるだけでなく、多くのチャンスを与えたいと奔走します。

公式サイトより

公開日

2004年(製作国:アメリカ)

原題

Born into Brothels: Calcutta’s Red Light Kids

上映時間

85分

予告編

キャスト

  • ロス・カウフマン(監督・編集・撮影)
  • ザナ・ブリスキ(監督・撮影)
  • ナンシー・ベイカー(編集)

公式サイト

未来を写した子どもたち

ドキュメンタリー映画史上に輝く名作

未来を写した子どもたち
©︎Born into Brothels: Calcutta’s Red Light Kids

第77回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞をはじめ多数の賞に輝いたドキュメンタリー。

以前から評判は聞いていたが、今回が初見。

文句無しに感動し、後半は何度も涙が頬を伝った。

これまでに見たドキュメンタリー映画の中でも屈指の名作だ。

インドの売春街で写真を撮り続けている女性写真家ザナ・ブリスキが、街の子どもたちに写真を教え、彼らを苦境から救おうと模索する姿を描く。

1つ間違えば偽善的に見えてしまう行動だ。

しかし売春街の人々の姿を当たり前のように映し出した写真や映像を見ていれば、ブリスキおよび共同監督のロス・カウフマンが、この街の人々に信用され、受け入れられていることは明らかだ。

売春街の状況を肯定はしないにせよ、上から目線で彼らの生き方を否定するような態度も取っていないことが分かる。

写真の撮影が映画の撮影に

未来を写した子どもたち
©︎Born into Brothels: Calcutta’s Red Light Kids

ブリスキの元々の目的は、売春街の実情を写真に収めること。

ところが売春街にたくさんいる子どもたちが彼女を珍しがり、写真撮影にも強い興味を持ったため、彼らにカメラを与え、撮影の知識を教えることになったらしい。

その写真を収益化し子どもたちの未来につなげるというアイデアは、後から出てきたものだろう。

製作年は2004年なので、カメラはデジタルではなくフィルムのコンパクトカメラ。

何台ものカメラを用意し、フィルムを購入し、現像・プリントするには、それなりのお金がかかる。

明確には説明されないが、多分そのアイデアを実現させるために(=資金を調達するために)、子どもたちの姿を映画にするという話になったのではないだろうか。

写真撮影に喜びを見出す子どもたち

子どもたちの置かれた状況は、我々の目から見れば悲惨なものだ。

女の子はやがて自分も身を売る運命になることを憂いている。

だが彼らの顔は、意外なほど明るい。

それは子どもたちが、生まれた時から売春を当たり前の日常として受け止めているのも一因だろう。

ある程度の年齢になれば、売春をして生きていくことが決して楽しい生活ではないと分かるにせよ、彼らはそんな環境の中で生まれ育ってきたのだ。

それを全否定することは、自分のこれまでの人生と家族を全否定することであり、そのような選択肢はないのだろうと思える。

また、ここに登場する子たちは、写真に強い興味を持つくらいなので、「 創作 」や「 自己表現 」に人一倍関心があるのだろう。

誰もが写真によって救われるわけではないが、あの子たちにとっては、楽器やサッカーボールを与えられたのと同じように、生活を一変させるものだったはずだ。

カメラを持って身の回りにある日常を写し、互いの写真についてあれこれ言い合う子どもたちは、本当に生き生きとしている。

バスに乗って皆で海へ写真を撮りに行くシーンでは、子どもたちの純粋な喜びに心が震え、涙が抑えられなくなった。

売春街の子どもの未来を阻むもの

子どもたちが写した写真は秀逸なものも多いため、写真展が開かれ、人権団体などを通じて世界に発信される。

ザナ・ブリスキは、その収益を使って子どもたちに、売春街で生きていく以外の選択肢を提供しようとする。

そのために必ず必要になるのは「 教育 」だ。

ブリスキは子どもたちが行ける学校を探すが、そこで興味深いのは「 寄宿制でないとダメ 」という話。

売春街で暮らしたままでは、(特に女の子は)そちらの生活から離れるのは不可能だということだ。

しかし売春街の子どもを受け入れてくれる学校は少ない。

何とか苦労して見つけた学校では、子どもたちにHIVの検査が義務づけられ、陽性なら入学を拒否される。

もちろん学校側の立場も理解できるが、それほどまでに売春街の子どもたちは警戒されているということだ。

稼ぎ手として期待されている子どもなら、家族の説得が必要になる場合もある。(歓迎する家族もいる)

天才少年のゆくえ

何人もいる子どもたちの中で、特に興味を引かれるのはアヴィジットという男の子だ。

理由は簡単で、彼の撮る写真がずば抜けて目を惹くものだから。

構図の取り方や色調が絶妙で、ごく日常的な風景を写しているだけなのに、言い知れぬ不穏さと緊張感が漂っている。

筆者も普段から写真を撮っているのでよけい分かるのだが、そのセンスの良さには心底驚かされる。

写真エージェントが言うように、まさしく天性の才能。

絵を描くのも好きらしいので、世界を斬新なヴィジュアルで切り取ることが得意なのだろう。

そんなアヴィジットの才能は高く評価され、オランダの写真団体からインド代表の少年カメラマンとして国際的イベントに招待される。

しかし学校への入学と同様、売春街の子どもは差別を受け、パスポートを取ることすら極めて困難だ。

その上家庭にも問題が起き、アヴィジットは写真から興味を失っていく…

傑出した才能を持つアヴィジットがどのような運命をたどるのかが、後半の大きな焦点となっている。

すべての子どもたちに幸多からんことを

ラスト、8人の子どもたちのその後の運命が語られる。

チャンスを生かせた子もいれば、生かせなかった子どももいる。

チャンスを生かせた子たちはいいとして、そのまま売春街で人生を送るしかない子どもたちにとって、「 写真 」や「 受けられたかもしれない教育 」はどんな思い出となったのだろうか。

その後の人生に何らかの希望を与えるものだったのか、失われた希望としてその後の人生に悔いを残すものだったのか…前者であることを、心から願わずにはいられない。

なお本作の邦題は「 未来を写した子どもたち 」という小綺麗なものだが、原題は直訳すれば「 売春宿に生まれて コルカタ赤線地帯の子どもたち 」というストレートなものだ。

執筆者

文・ライター:ぼのぼの

未来を写した子どもたち

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