「 ベイビーわるきゅーれ 」シリーズ待望の第3作。
宮崎を舞台に、ちさととまひろが最強の敵と戦うことになる。
しかしその敵キャラクターの造形から、アクションコメディという仮面の裏に潜む、このシリーズに一貫したテーマが明らかになる。
そのテーマとは一体何なのか?
ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ

あらすじ
殺し屋協会に所属するプロの殺し屋コンビ、杉本ちさと(髙石あかり)と深川まひろ(伊澤彩織)が宮崎県に出張。到着早々ミッションをこなし、バカンス気分を満喫していたが、ちさとはとあることに気づく。今日は相棒まひろの誕生日、しかしこの後は次の殺しの予定が入っていてプレゼントを用意する暇もない! 内心の焦りを隠しつつ、ターゲットがいる宮崎県庁に向かう。チンピラを一人消すだけの簡単な仕事のはずが、指定された場所にいたのはターゲットに銃を向けている謎の男。この男の正体は一匹狼の殺し屋、冬村かえで(池松壮亮)。 150人殺しの達成を目指す“史上最強の敵”が、ちさととまひろを絶体絶命のピンチに追い詰めるのだった・・・。
(公式サイトより引用)
公開日
2024年9月27日
上映時間
112分
予告編
キャスト
- 阪元裕吾(監督、脚本)
- 髙石あかり
- 伊澤彩織
- 水石亜飛夢
- 中井友望
- 飛永翼
- 大谷主水
- かいばしら
- カルマ
- Mr.バニー
- 前田敦子
- 池松壮亮
公式サイト
日本エンタメ映画の金字塔

ズバリ、最高だ。
笑いと涙と壮絶なアクションが満載。
製作費は3つくらい桁が違いそうだが、その面白さは近年の「 ワイルドスピード 」シリーズなどよりもはるかに上。
「 ベイビーわるきゅーれ 」シリーズの最高傑作であることはもちろん、日本のエンタメ映画の一つの金字塔と言ってもいい。
脚本に辻褄が合わないところはあるし、「 いや、それ絶対死んでるだろう 」と思えるところもあるが、
そもそもの設定からして荒唐無稽なので、シリーズとして世界観の統一が取れていれば、致命的な欠点とはならない。
アクション面で最も注目すべきは、元々スタントパーソンである伊澤彩織に対し、肉体アクションでは見劣りしていた髙石あかりが、かなりキレのいい動きを見せていることだ。
それでも伊澤彩織に及ばないのは仕方ないが、それは伊澤が凄すぎるだけであって、一般の女優としては及第点どころか満点に近い出来だ。
さらに最強の敵となる池松壮亮が、キレッキレの動き。
「 シン・仮面ライダー 」(2023)とは比べものにならないアクションを見せている。
しかし、そのようなエンタメとしての素晴らしさは、見れば誰にでも分かること。
ここで書きたいのは、本作によって、もはや疑いようもないほど明らかになった「 ベイビーわるきゅーれ 」シリーズの一貫したテーマについてだ。
作品を読み解く鍵は「 ASD 」
第1作「 ベイビーわるきゅーれ 」(2021)、第2作「 ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー 」(2023年)のレビューにおいて、
シリーズの核となる要素が、「 社会不適合者にまつわる物語 」であることは、既に述べた通りだ。
そしてこの第3作において、そのモチーフはより強固な形で繰り返される。ここまで来たら、もはや疑いようもない。
「 社会不適合者の孤独と生きるためのあがき 」こそが、このシリーズを貫く中心テーマだ。
筆者は医者ではないので、あまり生半可な知識を振り回すのもどうかと思い、これまでざっくり「 社会不適合者 」と形容してきたが、
ここまで来たら、もう少し踏み込んで書くしかあるまい。
ただし、これはあくまでも素人の聞きかじりの知識なので、その点にはくれぐれも留意していただきたいし、もし誤解があればご指摘いただきたい。
まひろ(伊澤彩織)を筆頭に、この作品の登場人物の多くは、明らかに発達障害の一種であるASD(自閉スペクトラム症)を抱えている。
つまり、「 ベイビーわるきゅーれ 」とは、ASDという障害を抱えた者同士の戦いを描く物語なのだ。
ASDとは何か?
既に述べたように筆者は医者ではないので、センシティブな問題について専門家のような顔で語るのは避けたい。
そうはいっても、一切解説なしで進めるわけにもいかないので、現時点で一番優秀な生成AIに思えるPerplexity Pro に
「 ASDの人の特徴について簡潔に教えて/ハルシネーションなしで」というプロンプトを打ち込むと、以下のような答えが返ってくる。
筆者の知識では納得できる内容だ。
●社会性とコミュニケーションの困難さ
- 人との関わりが苦手
- 場の空気を読むことが難しい
- 相手の気持ちを理解するのが苦手
●こだわりと興味の偏り
- 特定のものや活動に強いこだわりを持つ
- 興味の範囲が狭く、深い
- 予定や手順の変更に混乱しやすい
●感覚の特異性
- 特定の音や触感に過敏または鈍感
- 味覚が敏感で、好き嫌いが激しいことがある
●その他の特徴
- 視線が合いにくい
- 抑揚のない話し方をすることがある
- 細かな作業や運動が苦手な場合がある
※これらの特徴は個人差が大きく、全ての人に当てはまるわけではありません。また、ASDは生まれつきの脳機能の特性であり、育て方や環境が原因ではありません
どうだろう?
「 ベイビーわるきゅーれ 」シリーズをご覧の方なら、まひろを筆頭に、登場人物の多くが、これらの特徴を色濃く持っていることがすぐに分かるのではないだろうか。
主要登場人物が抱える発達障害
まひろに関して言えば、とりわけ顕著なのは社会的コミュニケーションの障害だ。
言葉による意思疎通が苦手。表情に乏しく、発話にも抑揚がない。周りの空気に合わせることが壊滅的に下手。
俗な言葉で言えば、絵に描いたようなコミュ障だ。
彼女の場合、知的能力にも少し問題があるのでは?と思えることも多い。
もう1人の主人公ちさとに関しては、ASDの傾向はあまり見られない。
ただし2作目のレビューで述べた通り、彼女もまひろとは違う形での社会不適合者であり、その飽きっぽさや突発的な行動は、
ASDではなくADHD(注意欠如・多動症)の傾向が強そうだ。
まひろや冬村かえでに比べれば、軽度ではあるが、彼女もグレーゾーンと見てよさそうだ。
2作目に出てきた殺し屋兄弟の弟まことは、まひろよりは外交的ながら、話が一方的で、思ったことが全部口に出てしまい、場の空気というものが読めない。
まひろとは少しタイプが違うが、やはりASDの傾向が強い。
上には明確に書かれていないが、「 冗談や比喩が理解しづらい 」というのもASDの大きな特徴とされる。
それを絵に描いたような存在が、1作目に出てきた極道の父親だ。
下町の団子屋で「 お釣りは200万円 」と言われて、文字通り200万円を要求し、冗談ですよと断られると、
因縁ではなく素でブチ切れて残酷な暴力をふるう様は、もはやASDのカリカチュア以外の何ものでもない。
3作目で初登場する入鹿みなみ(前田敦子)も、まひろに比べればはるかに軽いものの、コミュニケーション障害の持ち主だ。
発話そのものは流暢だが、常に攻撃的な会話しかできない。
それでいて一旦心を開くや相手のことなどお構いなしに延々と自分の興味のあることだけ話し続ける極端さは、
ASDのグレーゾーンだ(だからこそ「 合格〜 」が意味を持ってくるのだ)。
冬村かえでというキャラクターが示すもの
そして真打ちが、本作において最大の敵となる冬村かえで(池松壮亮)だ。
「 人との関わりが苦手 」「 場の空気を読むことが難しい 」「 相手の気持ちを理解するのが苦手 」「 特定のものや活動に強いこだわりを持つ 」「 興味の範囲が狭く、深い 」「 予定や手順の変更に混乱しやすい 」
…見事なまでにかえでの特徴を表している。
他のキャラに比べて、とりわけ顕著なのは「 特定のものや活動に強いこだわりを持つ 」「 予定や手順の変更に混乱しやすい 」という特徴だ。
彼の行動もアクションも、一度決めたことを徹底して貫くために自分の能力の全てを注ぎ込んでいるように見える。
これは150人目に対する異様なこだわりや、病的にストイックな日記の記述から明らかだ。
そんな彼も仲間が欲しいとは思っている。
しかし正常なコミュニケーションが取れないため、気が付くと相手を怒らせ、殺してしまっている…の繰り返し。
ファームの残党に対して「 仲間が欲しいんだ 」と訴える様は滑稽であり、滑稽であるが故に悲しい。
強引に仲間にしてしまったファームのメンバーに、自分の興味があることだけを嬉々として喋りまくっている様は、
同じくアニメの話だけを一方的に喋りまくる入鹿と相似形であることが分かるだろう。
かえでは、ちさとと出会わなかったまひろの姿
「 ベイビーわるきゅーれ 」シリーズは、表面的にはオフビートな笑いと壮絶なアクションが合体した、ユニークなコメディアクションだ。
しかしその正体は「 ASDなどの発達障害を抱えた社会不適合者たちが、殺しの世界で生きていく物語 」であり、さらに言えば、
「 たまたま最適のバディと出会い、周りの環境にも恵まれた幸運な社会不適合者(ちさととまひろ)が、仲間や環境に恵まれず、
さらにドロップアウトしていくほかなかった社会不適合者(ゆうりとまことの兄弟やかえで)を殺すことになる物語 」なのだ。
その物語構造を理解していれば、かえでがまひろに呟く「 あんたは隣にいてくれる人がいて羨ましい 」という言葉や、
まひろがゆうり/まことの兄弟について「 名前くらい聞いておけばよかった… 」と語る言葉が、どれほど悲しく響くことか…。
これについては、本作の舞台裏を描いたドキュメンタリー映画「 ドキュメンタリー オブ ベイビーわるきゅーれ 」(2024)においても、
伊澤彩織が「 冬村かえでは、ちさとと出会わなかった世界線でのまひろの姿なのだと監督に言われた 」と語っている。
まひろはちさとと出会えたことで、人間らしく生きる道を見つけることができた(殺し屋だけど…)。
かえでは、そのような存在と出会えなかったことで、より孤独な修羅の道を進むしかなかった。
2人はまさしくコインの裏表なのだ。
テーマを理解するには1作目と2作目の鑑賞が必須
そのような作品の真価を理解するためには、1作目と2作目を見ていることが必須だ。
阪元裕吾監督は「 1や2を見ていなくても楽しめます 」というようなコメントをしていたが、それは商売上の建前として仕方のないことだろう。
確かに各話のエピソードはそれほど直結しているわけではなく、2や3だけ見てもエンタメとしては十分に楽しめる。
しかしその裏に隠されたシリアスなテーマは、順番に見ていかないと分かりにくい。
少なくとも前作を見ていなければ、まひろがゆうり/まことの兄弟について語る切なさを理解することはできないはずだ。
前2作を見た上で本作を見ることをおすすめする。
シリーズの今後
この後「 ベイビーわるきゅーれ 」シリーズはどうなるのだろう。
まだ物語を続けることは十分に可能だが、ここまで述べてきたような物語構造を理解していれば、ちさととまひろが、
いい仲間に恵まれなかった社会不適合者と戦う展開をこれ以上続けるのは、さすがに痛々しすぎるように思う。
道理から言えば、そのような社会不適合者たちを「 正社員かバイトか 」「 協会員か否か 」で選別し、排除しようとする殺し屋協会が、最終的な敵とならざるをえない。
しかしそうなった場合、待ち受けるラストは、アメリカンニューシネマのような悲劇的なものになりそうだ。
それはそれでシリーズをさらに別次元に押し上げることになるかもしれないが、ちさととまひろの悲劇的な末路は見たくないという気持ちの方が大きい。
注釈
本稿でASDについて詳しく述べたのは、作品の読解に必須であることに加え、筆者自身がその傾向を強く持っていると自覚しているからだ。
医者に正式に診断されたわけではないが、どんな本や記事を読んでも、自分のことが書かれているようにしか思えない。
医者にかかっていないのは、心療内科などがはるか先まで予約で埋まっていて簡単には診てもらえないことに加え(どれだけ病んでいるんだ現代人)、
高い診療費を払って今更お墨付きを得たところで、それに見合う特別なメリットがないからだ。
明確に病気として確定診断されなくても、グレーゾーンであることは、まず間違いない。
逆に、そうでないと考えることはほぼ不可能だ。
映画で描かれていない要素として、聴覚や嗅覚の過敏に悩まされることも多い。
以前はこの分類がもっと複雑でピンと来ない部分もあったが、2013年にアスペルガー症候群がASDに統合されたことで、
「 あ、これは自分のことだ 」とストンと腑に落ちるようになった。
さすがにまひろやかえでほど重症ではないが、彼らの社会的コミュニケーションの拙さや生きづらさを見ていると、とても他人事とは思えない。
筆者がこのシリーズに強い思い入れを抱くのもそのためであり、間違ってもASDを他人事として見下し、
批評の道具として弄んでいるわけではないので、その点はくれぐれも誤解なきように。
昔と違ってASDに関する情報は溢れているので、この問題について少しでも関心を寄せていただければ幸いである。
阪元裕吾監督が語る制作秘話とは「 ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ 」インタビュー

文・ライター:ぼのぼの