ドキュメンタリーとは? その歴史を誕生 〜 現在まで振り返る
文・ライター:@竹内優実
実際の出来事や事件を元に、作成されるドキュメンタリー。
事実に基づいて制作されるドキュメンタリー作品には、フィクションとは異なる迫力や説得力を持つことが多い。
ドキュメンタリーのジャンルは、幅広く社会問題から歴史、自然環境、戦争、芸術など、歴史など数えきれないほどの作品が国内外で発表されています。
本記事では、ドキュメンタリー作品がどのように誕生し、進化していったのか?
その歴史を紐解いていきます。
ドキュメンタリーの誕生
ドキュメンタリーの誕生と発展は、「 シネマトグラフ 」と呼ばれる映像機器と共に産声を上げることになります。
1895年、リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフは、元々は発明家のトーマス・エジソンが作ったキネトスコープに影響を受け作られたものです。
最初の作品は「 工場の出口 」(1895年)という作品で、時間は46秒と大変短い映像でしたが、初めて見た人たちは大変驚いたそうです。
今では考えられませんが、汽車が駅に到着する作品「 ラ・シオタ駅への列車の到着 」(1896年)では、観客は本物の汽車が迫ってくると勘違いし、悲鳴を上げて逃げようとしたという逸話も残されています。
そして、ドキュメンタリーの歴史を語る上で欠かせない人物と言えば、ルミエール兄弟と言っても過言ではありません。
リュミエール兄弟の功績は、シネマトグラフを開発しただけでなく、事業化し世界中に百名を超えるカメラマンを派遣したことです。
日本を含め、多くの地域で映画文化が発展するキッカケになりました。
初の長編作品
世界初のドキュメンタリー映画は、1922年に公開された「 極北のナヌーク 」(Nanook of the North)です。
探検家でもあった、ロバート・フラハティ監督が、エスキモーの生活を何年にもかけて撮影し、彼らの狩りや過酷な生活を赤裸々に映しました。
実は「 極北のナヌーク 」は、事実に基づいて撮影された作品ではありません。
主人公のナヌークの名前が架空のものだったり、ナヌーク一家が実は本当の家族ではなかったりしたことで、後に厳しい指摘を受けています。
とはいえ、ドキュメンタリーの定義が「 事実に『基づいた』作品 」であれば、「 極北のナヌーク 」は間違いなく最古のドキュメンタリー映画と言えるでしょう。
戦争とプロパガンダ映画
20世紀、第一次世界大戦、第二次世界大戦をキッカケにドキュメンタリーは最初の転換期を迎えます。
ドキュメンタリーは「 プロパガンダ映画 」として、世界中で多用されることになったのです。
プロパガンダとは、国や政党が主義や思想、メッセージを伝えるために作成される映像のことで、当然、制作者側の意図に沿った作品となります。
特に有名なのがドイツのヒトラーが1935年に作成した「 意志の勝利 」で、ナチ党がいかに優れた政党なのかを知らしめる為に利用されました。
この映画では、ナレーションは一切入っていませんが、映像からヒトラーを救世主のような印象を受けることができ、後に多くのプロパガンダ作品にも影響を与えた作品です。
日本でも1945年に海軍によって「 桃太郎 海の神兵 」という戦争奨励のアニメ作品が作られ、今でも代表的なプロパガンダ作品として語り継がれています。
ドキュメンタリーが世相を強く反映する以上、プロパガンダ映画の台頭は当然の流れだったのかもしれません。
社会を映す
終戦と共に、プロパガンダ映画は次々と没収・廃棄されました。
次にドキュメンタリーのジャンルとして注目され評価されたのは、社会をテーマにした作品です。
1954年にイギリスで撮影された「 木曜日の子供たち 」は、聴覚障害を持つ子どもたちが社会へ出るために、学校に通い授業を受ける様子を映した作品でして、同年のアカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞しています。
日本でも1971年「 水俣 患者さんとその世界 」のドキュメンタリー映画で、水俣病を引き起こした水銀を流していた会社への抗議運動を映しました。
この映画は世界中で評価され、ストックホルム環境会議でも上映、モントリオール世界環境映画祭グランプリ、ベルン映画祭銀賞など数多くの賞を受賞しています。
今後のドキュメンタリーの展望
21世紀に入り、デジタル技術の発展はドキュメンタリー制作や配信方法を劇的に変えました。
SNS、ストリーミングサービス、YouTubeの登場により、全世界の視聴者と瞬時につながることができるようになり、複雑な撮影技術も不要で誰でも簡単に撮影と配信が行えるようになったのです。
結果、多くの人たちが興味・関心を持つ内容だけでなく、限られた特定のジャンルのドキュメンタリーも手軽に視聴者へ届くようになりました。
社会問題として発信された小さな声が、大きな影響力を持つことも、今では決して珍しいことではありません。
ただし、ドキュメンタリーは「 事実に『基づいた』作品 」を指すため、必ず制作者の意図や主観が入り込みます。
そのため、真実とフィクションを見分ける為の目を私たち視聴者も、意識を高めていく必要があるのではないでしょうか。
まとめ
ドキュメンタリーは、誕生から現在まで、歴史に合わせてさまざまな変遷を経てきました。
技術や社会の動きに応じて進化し続けるこのジャンルは、私たちに真実を伝え、新しい視点を提供してくれます。
今後も、人間の歴史と進化を追い続けるドキュメンタリーの価値は色あせることはないでしょう。
ドキュメンタリーがどのような変貌を遂げ、どこに辿り着くのか?
今後も見続けていきたいと思います。