「 トラペジウム 」感想レビュー、熱を帯びた賛否両論の理由を考察

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乃木坂46 第1期生の高山一実が現役アイドル時代に執筆し、30万部のベストセラーとなった小説「 トラペジウム 」

その小説がアニメ映画化されたところ、ネット界隈で強い拒否反応が起きる。

なぜそのような問題が起きたのか? 本当にそのような非難に値する作品なのか?

目次

トラペジウム

©トラペジウム

あらすじ

高校1年生の東ゆうは“絶対にアイドルになる”ために、自らに「4箇条」を課して高校生活を送っている。
1)SNSはやらない
2)彼氏は作らない
3)学校では目立たない
4)東西南北の美少女を仲間にする

半島地域「城州」の東に位置する城州東高校に通うゆうは、他の3つの方角の高校へと足を運び、かわいい女の子と友達になる計画を進める。その裏には、「東西南北の美少女を集めてアイドルグループを結成する」という野望があった。

西テクノ工業高等専門学校2年生で、高専ロボコン優勝を目指す“西の星”大河くるみ。聖南テネリタス女学院2年生で、お蝶夫人に憧れる“南の星“華鳥蘭子。城州北高校1年生で、ボランティア活動に勤しむ“北の星”亀井美嘉。ゆうの計画を知り協力する男子高校生・工藤真司のサポートもあり、ゆうは3人の美少女と友達になる。

ロボコン大会や文化祭といった青春のイベントをこなしながら、ゆうは着々と「東西南北」4人の結束を固めていく。そんな中、観光客のガイドボランティア・伊丹秀一を手伝う女子高校生たちの活動が注目され、ゆうたちにテレビ出演のチャンスが舞い込む。さらに、番組制作会社のAD・古賀萌香との出会いをきっかけに、ゆうたち4人は徐々に仕事を得て、世の中に知られていく。そしてついには、「東西南北」のアイドルデビュープロジェクトが始動することになる。

「私が選び抜いたメンバー。私の目に狂いはなかった。私たちが、東西南北が、本当のアイドルになるために。私がみんなを、もっともっと輝かせてみせる。」

しかし、夢への階段を登り続けていく中で、ゆうは〈大きな問題〉に直面することになる――

公式サイトより引用

公開日

2024年5月10日

上映時間

94分

予告編

キャスト

  • 篠原正寛(監督)
  • 結川あさき
  • 羊宮妃那
  • 上田麗奈
  • 相川遥花
  • 木全翔也
  • 久保ユリカ
  • 木野日菜
  • 内村光良
  • 高山一実
  • 西野七瀬

公式サイト

トラペジウム

現役アイドルが書いたアイドルの実態とのことだが…

©トラペジウム

原作は乃木坂46 第1期生である高山一実が、2016年から2018年にかけて「 ダ・ヴィンチ 」誌で連載した小説。

現役のアイドルが、アイドルを目指す女の子の姿を描いた、一種の内幕ものということで話題になり、累計で30万部にも及ぶベストセラーとなる。

…という知識は、実のところ100%ネットで拾い集めてきたもの。

筆者は乃木坂46やAKB48などの秋元康系アイドルには一切興味がなく、高山一実についても名前すら知らなかった。

乃木坂46で名前を覚えているのは、「 映像研には手を出すな! 」の実写版に出ていた齋藤飛鳥と山下美月くらいのものだ。

調べてみると、確かにこの小説はかなり話題になり、出版氷河期の中で目覚ましい売れ方をしたようだ。

しかし上記のような事情から、耳に入った情報も右から左へとスルーしてしまったのだろう。

ベストセラーである原作についても存在すら知らなかった。

何を言いたいかというと、それくらいこの映画に対して何の興味もなく、全く見る予定はなかったということだ。

ネットを騒がす賛否両論

ところがこのアニメ映画が公開されると、ネット界隈が妙に騒々しくなる。

本作を最低の映画だと激しく非難する声と、大傑作だと擁護する声がぶつかり合って、その賛否両論がやけに熱を帯びていたのだ。

作品を非難する声の多くは「 主人公に全く共感できない 」「 主人公がクズすぎる 」という主人公の性格や行動に対する嫌悪と、

「 高山一実がこんな物語を書くことが問題だ 」といった意見が多く目についた。

擁護する側は「 実に真っ当な成長物語であり青春物語の傑作だ 」という声が主流だ。

そんなわけでいささかの興味を覚えていたところ、上映開始から1か月以上経ったあとも、1日1回とはいえシネコンの大きなスクリーンで上映されていて、

ちょうどタイミングが合ったので見てみることにした。

少女たちのごく真っ当な成長物語

前置きがずいぶん長くなったが、実物を見た率直な感想は…「 拍子抜けするほど普通の佳作 」だった。

作品そのものよりも、これが激しい賛否両論を呼ぶ現象が興味深く、不思議でもある。

先に作品そのものについて語ると、擁護派が言うように、これはどこから見てもごく真っ当な、アイドルを目指す少女ゆうの成長物語である。

ただしそこは綺麗事では終わらない。

ゆうが強引にメンバーを集め、アイドルデビューを実現するものの、他のメンバーはアイドル業に対して強い熱意はなく、やがて精神を病む者も出て、グループは瓦解。

それぞれが新たな人生を歩むことになるというストーリーだ。

ポイントは、主人公のゆうが非常に利己的で、他のメンバーが「 友達 」として彼女と仲良くしたいのに対し、

ゆうは「 アイドルグループを作るため 」という目的が最優先で、つまりは彼女たちを利用しているということ。

あとの3人にとって、アイドル活動は友情を築くためのものだが、ゆうにとって友情は二の次。

その部分で根本的な食い違いがあり、ゆうの強引さと利己性に耐えられず、他のメンバーは離脱してしまう。

そのように聞くと、確かにゆうはとんでもないワガママ者ということになるが、実際の映画を見ていると、そこまで極端な印象ははなく、

「 若いうちの一途な思い込みやがむしゃらな暴走あるある 」という感じ。

ネットの一部で言われているような「 サイコパス 」「 クズの中のクズ 」といった表現は、明らかに針小棒大な表現だ。

しかもゆうは、その後自らの利己心が仲間を深く傷付けたことを自覚し、他人を利用するのではなく、自分自身の力によって夢を実現させる道へと歩み出す。

そして他のメンバーも、つらい思い出も多かったとはいえ、アイドル活動を経験したことで、自分たちが本当にやりたいことをやるきっかけを掴む。

確かに甘すぎる面はあるが、物語の構造は古典的な成長物語そのものだ。

したがって本作の眼目は、アイドルとして上り詰めていく過程ではなく、むしろグループが瓦解したあと、各人がそれぞれの進むべき道を見つけ、今度こそ友情によって結ばれる部分にある。

この後半には少なからず感動させられた。

問題は他の3人のメンバーの描写不足

ではなぜ「 佳作 」止まりなのかというと、前半があまりにも食い足りないからだ。

最大の問題は、ゆう以外の3人がアイドル活動をすることで直面する葛藤がほとんど描かれていないこと。

あの状況では、人前に出ることの適性云々よりも、彼女たちがボランティアやロボコン優勝など、それぞれの大切なものに費やす時間が大きく奪われることが最大の問題になるはずだ。

ところがそれがまともに描かれない。

そのため他の3人がストーリーを動かすための駒にしか見えず、アイドルに向けて邁進するゆうと、アイドル業に馴染めない3人の溝が、ドラマとして今一つ深まらない。

これが非常に惜しい。

それは「 ゆうの主観では、他のメンバーがまさしく駒のように見えた 」ということであり、だからこそ後半は他の3人のキャラが人間的に深掘りされているのだとも考えられる。

確かに全てはゆうが見える範囲のことしか語られないので、その可能性は高そうだ。

だが実際の描写としては、そこまで徹底してゆうの主観だけで物語が描かれているように見えず、普通に三人称で描かれているように見えてしまうのが中途半端だ。

そのような意図であれば、もっとゆうの主観に引き寄せた話法を取るべきだし、さもなくばあと10分ほど上映時間を長くして、

他の3人がそれぞれの生活で追い詰められていく姿を三人称で描くべきだろう。

アニメとしての表現にも難点

もう一つの難点は絵作りだ。

前述のように、おそらくはゆうの一人称物語にしたかったのだろうが、そのように見えないのは、漫然と背景などを描き込んでしまったためだろう。

京都アニメーションの作品をはじめ、近年の優れたアニメは、精緻に描き込んだ背景をこれでもかと見せるところと、主人公だけを浮き立たせて心理描写に徹するところのメリハリがきいている。

見せるべきものを見せ、見せる必要がないものは見せないことで、全ての映像が1つの物語として昇華される…本作は、そういう演出・絵作りがあまり上手くない。

またステージ出演の場面では、傑作「 BLUE GIANT 」(2023年)の唯一最大の瑕疵である不自然なCGが用いられている。

まるで影絵芝居のような動きの「 BLUE GIANT 」よりはいくらかマシだが、やはり生きた人間の動きには見えない。

なぜこんな未完成の技術を使って、わざわざクオリティを下げるのだろうか。

少女たちの成長物語として十分に感動的な映画なのだが、このように話術や映像の面で無視できない問題があるため、全体としては「 佳作 」に留まる。

もちろん佳作なので、見る価値は十分にあるが、一部で騒がれているほどの大傑作だとは認められない。

本作に対する拒否反応について考察してみる

そのような作品が、なぜ一部の観客からの過激な拒否反応を招いたのか? これが不思議だ。

一つ、すぐに考えられるのは、「 (元?)アイドルである高山一実が、こんなアイドルの虚飾を描くような作品を書くのは、ある種の背信行為であり許し難い 」というもの。

先述の通り、筆者は乃木坂46や高山一実のことをほとんど知らないため、そのファン心理を正確には把握できないが、少なからずありそうな気はする。

もう一つ考えられるのは、特に高山一実に限らず、意識的にであれ無意識的にであれ、アイドルという存在を神聖視する人々が、アイドルの非アイドル性を描く行為に対して起こした拒否反応だ。

同じようなことは、アニメ界隈や怪獣もの界隈など、いわゆるオタク的な世界全般に見られること。

つまりは「 原理主義 」だ。

こういう人々の面倒くささはしばしば目にするし、その屈折したこだわりは時に常識を超えたものになる。

それがこの作品に対して噴出した可能性はあるだろう。

不思議なのは、本作よりもはるかに深く鋭くアイドルの虚飾を描いた「 推しの子 」が大人気を博していることで、

あの作品に対するアンチはあまり聞いたことがない(注:筆者はアニメ未見で原作漫画の熱烈なファン)。

それはおそらく「 推しの子 」が、アイドルの残酷で汚い実態を描きながらも、アイドルという存在そのものは否定しておらず、

そのようなハードルを乗り越えてトップアイドルになる行為を「 大いなる愛の行為 」として描いているからではないだろうか。

本作もアイドルそのものを否定している部分は全くないのだが、「 推しの子 」のように「 最も暗い淵を覗いた者だけが見ることができる青空 」のような高揚感が弱いため、

原理主義者たちはネガティヴな方にばかり目がいってしまうのかもしれない。

そしてもう一つ。

以前から耳にするのは、最近の若者が、昔からは考えられないほど、フィクションに高い倫理性を求めるという話だ。

映画の中であっても、社会規範に反した行動をする主人公に強い抵抗を覚えるというのだ。

私などは、まだアメリカンニューシネマが大きな評価を得ていた時代に映画を見始めたので、そもそも映画とは「 アウトローにならざるを得なかった者 」への共感を描くものという印象さえある。

ヨーロッパ系のアートフィルムも、人間の心に秘められたダークサイドを描くものが多い。

しかし今の若者は、そういうものにあまり共感を覚えないらしい。

いわゆるミニシアター系の映画がかつてほどの人気を呼ばなくなったのは、そういう変化も影響しているのかもしれない。

もちろん統計的なデータがあるわけではないから正確なことは分からないが、確かに思い当たる節はいろいろとある。

どうも東日本大震災あたりを大きな契機として、良くも悪くも「 社会性(社会規範) 」が極めて重要な価値観となった印象だ。

筆者が見たときは、どういう理由でか中年のおっさんおばさんが多かったが、観客の主流が十代の若者であることは確かだろう。

そのような若者が、ゆうの身勝手な動機と行動に過剰な反応をしたとも考えられる。

ざっと思い浮かぶのは、そんな3つの理由だ。

おそらくこの3つに、筆者が気付いていない何らかの理由が複雑に混ざり合って、妙に過激な拒否反応を起こしたのではないだろうか。

まとめ

この賛否両論ぶりと絶賛派否定派双方の発言から見て、本作は今後も喉に刺さった棘のような存在としてあれこれ語られていきそうだ。

数年して騒ぎが落ち着いた頃、一体どんな評価に落ち着くことか興味深い。

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