「 ライオン・キング 」をアニメでも、実写版の前作でも鑑賞する度に以下のフレーズが脳裏に蘇ってくる。
「 勇気に溢れるライオンは恐れを知らないわけではなく、恐れながらも見栄を張って前へ前へと向かってるんだ 」
マセゴ → ムファサ → シンバに通じ、継承されている魂だと思う。
フレーズで誤解となるのが「 見栄を張って 」なんだけれど、事実は「 見得を切って 」が正解だろう。
そして見栄 = プライド。
プライドとはライオンの小単位の群れを示す。
厳しい表現が展開するが、今回は「 プライド 」の在り方を基軸に考察したい。
ライオン・キング:ムファサ

あらすじ
「ずっと“兄弟”でいたかった…」── ディズニー史上最も温かく、切ない“兄弟の絆”の物語。ムファサを偉大な王にした兄弟の絆に隠された、驚くべき“秘密”とは?心ゆさぶる楽曲にのせて、超実写版で描くキング・オブ・エンターテイメント!
(公式サイトより引用)
原題
Mufasa: The Lion King
公開日
2024年12月20日
上映時間
118分
予告編
キャスト
- アーロン・ピエール
- ケルビン・ハリソン・Jr.
- ティファニー・ブーン
- マッツ・ミケルセン
- ドナルド・グローバー
- ブルー・アイビー・カーター
- ビヨンセ・ノウルズ=カーター
- ジョン・カニ
- セス・ローゲン
- ビリー・アイクナー
- プレストン・ナイマン
- アニカ・ノニ・ローズ
- キース・デビッド
- タンディウェ・ニュートン
- レニー・ジェームズ
- 尾上右近
- 松田元太
- MARIA-E
- 吉原光夫
- 和音美桜
- 悠木碧
- LiLiCo
- 賀来賢人
- 門山葉子
- 佐藤二朗
- 亜生
- 駒谷昌男
- 渡辺謙
公式サイト
作品評価
- 映像
- 脚本
- キャスト
- 音楽(BGM)
- リピート度
- グロ度
- 総合評価
考察レビュー

画質も野生動物としての動きも、前作を遥かに上回る美しさで、ただただ画面に注力すればムファサの王道がシンバにも必然的に備わっていたバックボーンが伝わるだろう。
反してスカーの妬み嫉みの濃さに納得するだろう。
そして、地球の営みは1握りの動植物達にのみ与える生命の根源では無く、個々人や個々の小規模な組織に対してのみ得られるのではなく、全てにおいて「 平等 」である事を教えてくれる。
それが「 サークル・オブ・ライフ 」
プライド
ライオンとプライドとはなにか?
前作の「 ライオン・キング 」の際にムファサが王として治め、息子のシンバに譲ろうとしていたのが「 プライド・ランド 」
この「 プライド 」を掘り返すと一筋縄では語れない残酷な自然の掟が伴う。
本作で、このリアルを知る事は、感動も善悪も真意も突発的ではなく、ライオンと言う種族の宿命が分かるだろう。
残酷なプライドの仕組み
ディズニー作品で語る必要があるのか?
アニメ作品ならスルーしても良いと思う。
前作「 ライオン・キング 」でも同様に思っていた。
しかし、本作は第89回アカデミー作品賞受賞「 ムーンライト 」のバリー・ジェイキンズ監督の作品だからだ。
物語の端々から多くの問題提起が感じ取れる。
プライドは1頭のリーダーとなる雄ライオンを中心として、数頭の雄と10数匹の雌ライオンで構成される群である。
リーダーと雌以外は基本的に、全てリーダーの血を引く血族で構成される。(本作の軸)
子供たちも成長すると、数頭づつ組んで群れを離れる。
同族交配の繰り返しは種の劣化を生むからである。
その際に、若手同士で出会い意気投合し、新たなプライドを築き新天地を得る。
ここまでは幸福な展開。
やはり、ライオンの世界でも落ちこぼれや堕落者や横暴な輩が現れる。
彼等が生存成長し力をつけると「 ハグレ 」と呼ばれ、自分以外のプライドを蹂躙し、その土地が有用であればリーダーとして君臨する。
この「 頭変え 」が起きた時に最大の悲劇が起きる。
蹂躙し、支配下に置いたプライドで新リーダは、全ての雌ライオンに自らの仔ライオンを殺させる。
そうすることで、雌は発情状態に入り新リーダとの交尾に於いて妊娠しやすくなる。
これがライオンの残酷な仕組み故に、タカの父オバシが徹底的にムファサを排除しようとした言動はプライドの不文律ゆえである。
だが、本物のハグレの群れホワイトライオンのボスのキロスにより崩壊してしまう。
雄ライオンとは
元来より豪奢なタテガミによって「 百獣の王 」とイメージされている。
しかし、現代の印象ではプライド内で常に惰眠をむさぼり、雌達が狩った餌を真っ先に食し寝るを繰り返す、ダメ親父の象徴的である。
果たしてそれだけだろうか?
交配に関しては、雄の意向は関係ない。
雌に求められれば、全てに応えなければならない。
さらに惰眠だけでなく、常にプライドの周囲を警戒巡回を怠らず、外敵の接近や、侵入に対して生命を賭して闘い排除する役目を担っている。
ただ、タカの父オバシは本来の役目を果たしていなかった事が展開的に読み取れる。
息子のタカも、その姿しか知らない。
だからこそ、タカの母エシェは息子のタカをサポートする友として、ムファサに英才教育を施したと思われる。
ドラマ
単純に本作を表層的に、ライオン関係だけを語れば「 ムファサは獅子タラシで狡い 」って意見が散見される。
僕はこの思考感情こそが、現代人が成熟出来ない未熟思考で、ネット上やSNSでバズり易い誹謗中傷炎上商法による、妬み嫉み蔑み他責たる根源だと捉えている。
少なくともオバシの排他的思想と我が子優先。
キロスも同様の思想で成り立っている。
それ故に失意から、負の感情に囚われたタカが父の教えに類似し、強大な力を持つキロスに寄るのは致し方無い。
2024に行われた選挙での動向。
アメリカも日本国も御都合発信者が当選しているではないか。
現代社会も同等である。
真なる帝王学
「 帝王学 」とは突き詰めれば全体主義に於てのリーダーシップ論になる。
全体主義 = ファシズムとなるが…
全体主義の「 個人の権利や利益を国家全体の利害と一致するように統制を行う思想 」は良いと思われる。
しかし、問題は前提に「 個人の自由や社会集団の自律性を認めず 」である。
ちなみに、全体主義の反義は個人主義である。
「 帝王学 」とは特別な地位の跡継ぎに対する様々な幅広い知識・経験・作法など、跡継ぎとしての人格や人間形成に至るまでをも含む全人的教育なのだが。
この片鱗を垣間見るのはマセゴから幼いムファサに、ムファサから幼いシンバに継承されていた。
その後、彼等の多岐に渡る体験と出会った者たちとの交流と知見の賜物なのだろう。
現代社会は「 偽帝王学 」とでも言うべきか?
帝王学 = 個人主義の融合化である。
誰でも王様、誰でも主人公。全ては個人の自由権による行使。
なぜか、歴代王家を持つ日本国も英国も立場を履き違え、自らの主張による承認欲求に邁進する次男に侵されているのではないだろうか。
残念ながら、その父母に育てられた子どもたちのエゴは更に深く尽きない。
そういう恐怖を数年前から感じている。
まとめ
実は王であれ、王子であれ、男は本質的に直情的で前のめりな、お馬鹿なのだ。
だからこそ、ムファサには孤高の女王たる資質を持ったサラビとの出会い。
同じくシンバはナラとの出会い。
マセゴとアフィアも同じだろう。
タカの父オバシもタカの母エシェの存在を蔑ろにせずに大切に尊重していれば、タカはスカーに堕ちることはなく、もう1つにプライドを持ち、広くムファサと共にサークル・オブ・ライフを統率していたのではないだろうか。

文・ライター:LEDMAXI