誰しもが持つ曖昧な悪意を描いた「 空白 」で大きな評価を得た吉田恵輔が、石原さとみを主演に迎え、幼い娘に失踪された母親の姿を描く。
石原さとみが、それまでのアイドル的な演技を脱し、本格的な熱演を見せたと評判の作品ではあるが…。
ミッシング
あらすじ
とある街で起きた幼女の失踪事件。
あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里は、夫・豊との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々だった。
そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。
世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。
一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。
それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。その先にある、光に—
公式サイトより引用
公開日
2024年5月17日
上映時間
119分
予告編
キャスト
- 吉田恵輔(監督)
- 石原さとみ
- 青木崇高
- 森優作
- 有田麗未
- 小野花梨
- 小松和重
- 細川岳
- カトウシンスケ
- 山本直寛
- 柳憂怜
- 美保純
- 中村倫也
公式サイト
吉田恵輔作品につきまとうあざとさ
「 ヒメアノ〜ル 」(2016年)「 犬猿 」(2018年)「 愛しのアイリーン 」(2018年)などで注目を集め、「 空白 」(2021年)で決定的に評価を確立した感がある吉田恵輔監督。
メジャー系映画ではなかなか扱われない、人間のドロドロした感情や白黒がはっきりつけられないテーマを扱いながら、
ヘビーになりすぎることなく、どこかにストレートな感動を織り交ぜる作劇で「 エッジの利いたエンタテインメント 」として仕上げる手腕はたいしたものだと思う。
本作は、そんな吉田が石原さとみを主演に迎え、失踪した娘を探すために狂奔する母親と、彼女を取り巻くメディア関係者などの姿を描くもの。
石原さとみが、それまでの殻を破る本格的な演技を見せていると前評判が高く、それなりの期待を持って臨んだのだが…。
確かに悪い映画ではない。
だが周りの大評判からすると、あまり心には響かなかった。
一言で言えば、全てが「 あざとい 」
実は評価の高い「 空白 」にも同じようなあざとさを感じたのだが、それがさらにマシマシになっている感じだ。
もっとエンタテインメント寄りの作品ならばあざとくてもいいが、これだけシリアスなテーマを持った作品で、このような作りは、どうにも好きになれない。
聞き取りにくい台詞
細かい話になるが、気に入らなかった演出を3つ書いておこう。
1つ目。台詞がやたらと聞き取りにくくてイライラした。
最初は劇場の音響の問題だと思ったが、警察署のシーンで、主役の台詞よりもバックの無関係な台詞の方がレベルが大きいのを見て、明確な演出だと分かった。
おそらくは、そのシーンに象徴されるように、主人公たちの大切な声が、いわゆる「 声のデカい人 」たちによってかき消され、
大切な言葉は他人に届かない…そんな疎外感を表現したかったのだろう。
しかし「 大切な声がノイズ的なデカい声によってかき消される 」という状況を、バカ正直にそのままの形で描いてどうするのだ。
前記のような疎外感を描いた作品は山ほどある。
だがそれらの作品で、こんな風に台詞を聞き取りにくくする演出がほとんど用いられていないことからも、あまり効果のない手法であることが分かるというものだ。
私のような観客にとっては、最初からそんな風に台詞が聞き取りにくいと「 やれやれ、また音響設備の不備か。あとで劇場にクレームを入れなきゃならないよ。鬱陶しいな〜 」と、
その時点で意識が映画から離れてしまうので、本当に勘弁してほしい。
汚れないTシャツに象徴される無神経さ
2つ目。沙織里(石原さとみ)が絶望的なシーンでEVERYTHING WILL BE BETTERだったか、そんな意味の文字がデカデカと書かれたTシャツを着ている。
それ自体は反語表現というか、状況をドラマチックにする演出として問題ない。
問題は、彼女が2年後にも同じTシャツを着ていて、しかもそのTシャツが以前と全く変わらぬ新品バリバリの状態だということだ。
まず、リアリズムの観点から言って、あんな白いTシャツが2年後も新品同様の綺麗さであるはずがない。
もし沙織里があのメッセージを心の拠り所のようにしていて、同じTシャツを買い替えているなら、そういう描写があってしかるべきだ。
そうではなく明確な演出だとすれば、かなり首を傾げる。
「 全てはよくなる 」という希望は、2年もの間、彼女の中で全く変わらず新品のままだったのだろうか?
そんなことは現実的に考えられないし、状況的に言ってもそぐわない。
むしろ2年後には、そのTシャツがすっかりくたびれている状態になっている、あるいは彼女がその言葉にすがりつくかのように、
同じTシャツを何枚も揃え、古くなると新しいものをおろしている…という描写こそが、あの物語にはふさわしいはずだ。
それをなぜ2年経っても新品のごとき真っ白なTシャツを着せているのだろう?
その無神経さだけで、この映画に対する信頼を失う。
あえて整っていない顔ばかり揃える不自然さ
さらにもう1つ。本作で最初のうちかなり驚いたのは、出てくる登場人物の顔が皆見事に「 整っていない 」ことだ。
早い話が「 美男美女とは言いにくい、時には不細工とすら言える顔 」だ。
整っているのは石原さとみとテレビ記者役の中村倫也くらい。
あとは無精髭でわざと汚しをかけている青木崇高がギリか。
他は森優作をはじめ、皆典型的な美男美女からは遠い存在。そこに他の映画にはないリアルさを感じた。
ところが見ていくうちに、その整っていなさがどんどんあざとく感じられてきた。
「 絵に描いたように整っていない顔 」、言い換えれば「 非常に個性的で印象に残ってしまう顔 」ばかりが続々と出てきて鼻水を垂らしたりしている。
そこに「 どうです?石原さとみ他若干名を除けば、いかにも俳優っぽい美男美女はいないでしょ?これが現実、他の映画にはないリアルさですよ! 」
という強い作為性を感じ、鼻についてしまったのだ。
実際の日常で、あんなに個性の強い顔ばかりが並ぶことは少ない。
電車に乗って周りを見回しても、多くの人はすごく整っているわけでも整っていないわけでもない、もっと無個性なぼんやりとした顔をしている。
「 一見リアルに見せようとすることで、逆にリアルさから遠ざかってしまう作為性 」…それが、この映画をよく象徴しているように感じられた。
石原さとみの空疎な熱演
評判になっている石原さとみの演技だが、これについては多言を要しない。
「 今年の日本アカデミー賞は私のものよ! 」と言わんばかりの、絵に描いたような「 熱演 」
一見リアルなようで、実際にはリアルからほど遠い作為性に満ちた演技。
それがこの映画の全てを象徴している。
この企画は、石原さとみの方から吉田恵輔にアプローチをかけたように聞いているが、彼女はこのような形での「 熱演 」を希望していたのだろうか?
真の傑作は「 BLUE/ブルー 」のみ
玄人筋にも評価の高い吉田恵輔だが、本作にせよ「 空白 」にせよ「 愛しのアイリーン 」にせよ「 ヒメアノ〜ル 」にせよ、
出来はいいのだが、どうもあざとさが目につきすぎて、「 そう簡単に騙されないぞ 」という不信感を抱いてしまう。
現時点で文句なしに支持できる吉田作品は、自分が見た範囲では「 BLUE/ブルー 」(2021年)だけだ。
あれだけは今思い出しても胸が熱くなる、真の傑作だと言える。
逆に言えば、「 BLUE/ブルー 」という作品があるが故に、「 吉田恵輔なら一応見ておかないとまずいのかな 」という気になるわけだ。
しかし次もこんなあざとい作風であれば、「 BLUE/ブルー 」まで嫌いになってしまわないうちに、
吉田作品とは手を切った方がいいのでは…そう思わずにはいられない。