「 ベイビーわるきゅーれ 」や「 黄龍の村 」で今や映画ファンの熱い視線を集めるようになった新鋭監督、阪元裕吾。
彼の商業映画デビュー2作目は、奇想天外なアイデアに満ちたモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)だった!
最強殺し屋伝説国岡[完全版]
あらすじ
2018年、監督の阪元は女子二人組の殺し屋を描く新作映画『ベイビーわるきゅーれ』のシナリオに取り掛かっていた。阪元は“関西殺し屋協会”という殺し屋ビジネスネットワークがある事を知り、シナリオ作りの参考に協会に取材を申し込む。協会から紹介された人物は、京都最強と呼ばれるフリー契約の殺し屋・国岡昌幸(23)だった。国岡の密着取材を行う事になった阪元が見た殺し屋の生活は、笑って泣いて悩んで恋をして友人と酒を飲む一般人と変わらない日常生活と淡々と仕事としてこなす殺しの日々だった。ある日依頼元との連絡ミスで、間違った人間を殺してしまった国岡は、逆上した依頼元から送られてくるヒットマンと、殺された人間の仇を狙う者たちの両方に狙われる事になる。そして大殺戮の日々が始まる・・・
公式サイトよりイ引用
公開日
2021年10月8日
上映時間
93分
予告編
キャスト
- 阪元裕吾(監督)
- 伊能昌幸
- 上のしおり
- 吉井健吾
- 松本卓也
- でん一徳
- 申昇容
- 海道力也
- 藍海斗
- 中村銀次郎
- ゆっけ
- ゆっけ弟
- 地蔵竜希
- 田島剛
- 大坂健太
- 田中善則
- 藤井愛稀
公式サイト
「 ベイビーわるきゅーれ 」の世界観はここから来た
阪元裕吾監督の2021年作品をAmazonプライムビデオで鑑賞した。
この「 最強殺し屋伝説国岡[完全版] 」は2021年10月に正式な劇場公開がされたため、一応2021年作品という扱いになっている。
だが実際にはもっと前に製作され、2019年3月の「 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 」で「 最強殺し屋伝説国岡 」として上映されている。
そこに再編集を加えたものが、「 最強殺し屋伝説国岡[完全版] 」だ。
阪元の商業映画としては、「 ファミリー☆ウォーズ 」(2018年)に続いて2本目になる。
なお「 ファミリー☆ウォーズ 」より前に6本ほどの監督作が存在するようだが、こちらは学生映画・自主映画のため、目にすることは少々困難だ。
京都最強の殺し屋と呼ばれる国岡昌幸(伊能昌幸)の日常をテレビの追っかけドキュメンタリーの形式で描いた、いわゆるモキュメンタリー。(フェイクドキュメンタリー)
殺し屋がその非合法な活動をカメラの前で呑気に説明する序盤からして、実質的にコメディである。
主演の伊能昌幸をはじめ、阪元組の常連がちらほらと顔を見せる。
世界観としては「 ベイビーわるきゅーれ 」(2021年)にそっくりで、殺し屋の協会があって、堅気の社会とあまり変わらない日常的な感覚で物事が進んでいく。
というか、実際の製作年は本作の方が古いので、この設定がそのまま「 ベイビーわるきゅーれ 」に受け継がれたということだろう。
組織から生活の指導まで受けているちさととまひろは、おそらくシフト制で働く” リーマン “。
国岡は依頼ごとに仕事をする” フリー “だが、コミュニケーションの行き違いから大きな面倒に巻き込まれることになる。
シリアスと悪ふざけが混ざり合う可笑しさ
これまでに見た阪元作品の中でも一番ふざけた悪ノリ作品だ。
本物のドキュメンタリーやテレビのバラエティはもちろん、モキュメンタリーそのもののパロディになっている。
編集などが非常に粗雑だが、これはドキュメンタリーっぽさを出すための意図的な演出だろう。
その粗雑さ自体が笑いを呼ぶ。
そして相変わらずの低予算。
それがありありと分かるのが、また笑える。
通常の劇映画なら単に安っぽく見えてしまうだけだが、モキュメンタリーという形を取ることで、これが妙なリアルさに繋がる。
それでいて、誰がどう見ても内容はフェイクということでメタ的な笑いを呼ぶという、実に屈折した面白さだ。
俳優陣の演技やアクションも、他の作品に比べると実に素人くさいのだが、最後に見応えのある長丁場のアクションを用意しているため、何だか凄いものを見たような気分にさせられるという詐欺商法(笑)
そういう粗雑さや胡散臭さの全てがモキュメンタリーコメディとして結実しているアイデア勝ちの作品だ。
アクション自体は本気なのに、脱力しまくった日常描写とのバランスやリズム感が、他のアクション映画とはまるで違う。
このオフビート感覚こそ阪元映画ならではの個性。
阪元裕吾はアクション映画界のアキ・カウリスマキだ。
観光地ではない京都ご当地映画
なお、阪元作品以外で、全体の雰囲気や主人公のキャラにどうも見覚えがあると思って記憶を探っていったところ、井坂聡監督 / 浅野忠信主演の「 Focus 」(1996年)に行き着いた。
内容こそもっとシリアスだが、あの作品もモキュメンタリー的な作りだったので、元ネタの1つとなった可能性は十分にありそうだ。
まとめ
最後に、本作の舞台がなぜ京都かというと、阪元裕吾や伊能昌幸らが京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の学生だったから。
本作の製作時点で阪元がまだ京都にいたのか、東京に拠点を移していたのかははっきりしないが、いずれにせよ大学時代の人脈を駆使して製作したものと考えられる。
そのような地元密着型作品(?)ゆえ、「 観光地ではない京都 」のあちこちでロケをしまくっているので、京都人が見るとさらに面白いのではないだろうか。