「 私は憎まない 」感想レビュー、紛争地で医師が叫んだ平和の祈り

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主人公であるイゼルディン・アブラエーシュさんは、パレスチナ人で初めてイスラエルの病院に勤務した医師。

紛争が続くパレスチナとイスラエルの間で、「 人は皆、平等であり、命に国籍はない 」ということを教えてくれる、

中東のガンジーと呼ばれる彼の半生を描いたドキュメンタリー。

目次

私は憎まない

©I Shall Not Hate

あらすじ

「医療でイスラエルとパレスチナの分断に橋を架ける」。ガザ地区の貧困地域、ジャバリア難民キャンプ出身の医師で、パレスチナ人としてイスラエルの病院で働く初の医師となったイゼルディン・アブラエーシュ博士は産婦人科でイスラエル人とパレスチナ人両方の赤ちゃんの誕生に携わってきた。彼は、ガザからイスラエルの病院に通いながら、病院で命が平等なように、外の世界でも同じく人々は平等であるべきだと、分断に医療で橋を架けようとする。しかし2009年、両者の共存を誰よりも望んできた彼を悲劇が襲う。彼の自宅がイスラエル軍の戦車の砲撃を受け、3人の娘と姪が殺されたのだ。砲撃直後、博士の肉声をイスラエルのテレビ局が生放送し、彼の涙の叫びはイスラエル中に衝撃と共に伝わった。その翌日、博士は突然、テレビカメラの前で憎しみではなく、共存を語りだす。イスラエル政府に娘の死の責任を追求するも、決して復讐心や憎しみを持たない彼の赦しと和解の精神は、世界中の人々に感動を与え、“中東のガンジーやマンデラ”とも呼ばれる存在となる。しかし2023年10月7日のハマスのイスラエルへの攻撃、それ以降のガザへの攻撃を経て、彼の信念は再び試されることになる。

原題

I Shall Not Hate

公開日

2024年10月4日

上映時間

92分

予告編

キャスト

  • タル・バルダ(監督)
  • イゼルディン・アブラエーシュ

公式サイト

私は憎まない

ニュース生放送中に掛かってきた一本の電話

©I Shall Not Hate

2009年1月、パレスチナのテレビ局に一本の電話が掛かってきました。

生放送中であったにもかかわらず、キャスターは電話を取ります。

そして聞こえてきたのは、泣きながら大きな声で叫ぶ男性の声でした。

「 娘が、娘たちが殺されたんだ 」

電話を掛けてきたのは、ガザ地区の医師でイスラエルの病院に勤務するイゼルディン・アブラエーシュさん。

キャスターはアブラエーシュさんの友人です。

アブラエーシュさんの叫び声に生放送の現場は震撼となり、皆、顔を見合わせ、現状を把握できていません。

それでもキャスターは携帯電話でアブラエーシュさんから事情を聞き、落ち着くよう促すのですが、そんなことはできません。

突然、イスラエル人がアブラエーシュさんの自宅に砲弾を撃ち込み、3人の娘と一人の姪が亡くなった直後なのです。

目の前には血まみれの壁、娘たちが大切にしていたぬいぐるみまで赤く染まっていました。

その自宅から電話を掛けているアブラエーシュさんの悲しみに、キャスターは言葉を詰まらせていきました。

(きっと、目の前の惨劇に泣き崩れ、のたうち回っているのだろう)

そう思ったキャスターの想像通り、アブラエーシュさんは電話口で大声で叫び、悲しみを堪えられません。

キャスターは言います。

「 すみません、このまま電話を続けることは難しい、ですが 」と言葉を濁し、彼もまたその悲劇に苦しんでいる様子が画面いっぱいに映し出されました。

この放送は全国に流れ、大きな衝撃を与えました。

そしてアブラエーシュさん家族の悲劇は、一晩で一気に知れ渡ることになったのです。

貧困に苦しみながら医師を目指す

アブラエーシュさんは、パレスチナのガザ地区の難民キャンプで生まれ、貧しく悲惨な生活を送っていました。

生活の糧は牛乳を売り歩くことでした。

映画では、彼の過去はアニメーションで再現されていました。

住民を訪ねては牛乳を売り続ける少年の姿は、例えアニメーションであっても穏やかなものではありませんでした。

この貧困から抜け出すには教育を受けることだ、と彼は必死に勉強し、医師になりました。

そしてパレスチナの難民キャンプで医療にあたっていたところ、パレスチナ人として初めてイスラエルの病院で働くことが認められました。

ガザ地区の人間でイスラエルに入れる許可書を持っているのは一握りの人間だけです。

そんななか、アブラエーシュさんは週2回、ガザの検問所を通り、いつ閉ざされるか知れない国境を越え、

ガザに住みながらイスラエルの病院で新しい命と対面する日々を送っていました。

アブラエーシュさんは産婦人科医なのです。

本作唯一と言ってもいい笑顔が見られる場面があります。

彼が新しい命の誕生に立ち会う瞬間です。

紛争が続く敵国で、パレスチナ人医師がイスラエル人の赤ちゃん誕生に携わったことには大きな意味があります。

それは彼が両国の「 架け橋 」になろうと思った瞬間でした。

「 人は皆、平等で、命の大切さに国籍は関係ない 」、そういった彼の強い信念が伝わってくるシーンでした。

新しい命を抱きしめる彼は本当に嬉しそうで、顔をクシャクシャにし、まるで我が子が誕生したかのように喜びを表現します。

悲劇の始まりは2008年1月、妻の逝去

若いときに結婚したアブラエーシュさん。相手とは、難民キャンプで育った知己の仲でした。

そんな妻の願いはたくさんの子どもに恵まれること。

その夢は叶い、夫婦は8人もの子どもを授かりました。

家族が増えると大きな家を建て、お互いの両親や兄弟を呼び寄せて、一緒に暮らしました。

子どもたちは仲がよく、寝る時間になると姉たちはこぞって末弟の添い寝役を取り合いました。

紛争中とはいえ、それは彼らにとって日常であったので、家族がいるということだけで幸せだったことでしょう。

ところが、2008年1月、アブラエーシュさんを最初の悲劇が襲います。

最愛の妻が急性白血病であることが分かったのです。

アブラエーシュさんは勤務先の病院から急いで駆け付けますが、なかなか国境を越えられません。

許可書を持っていても越えられない国境。時間はどんどん過ぎていきます。

病院に入るのにも待たされました。

医師であるのに、何もできないもどかしさを隠しつつ、祈るように頭を垂れているうちに妻は天国へ旅立ちました。

余命宣告から2週間でした。家族でカナダへの移住を決めた矢先のことでした。

1年後、さらなる悲劇がアブラエーシュ一家を襲った

そして2009年1月、冒頭の悲劇が起こったのです。

生放送で、悲しみと苦しみと痛みと、全ての負の感情を全国に訴えたアブラエーシュさんですが、翌日には状況を一転させます。

彼はテレビ局のカメラに向かって、イスラエルとの共存を訴えたのです。

娘3人と姪1人を殺された翌日に、です。

あんなにも悲しみをニュースの生放送で訴えていたのに、翌日にはイスラエルとの和解と共存を訴えたのです。

正直、私にはその気持ちが理解できませんでした。

悲しみは時間とともに経過するものと思っていましたが、アブラエーシュさんにとってはそうではないのです。

強靭な心でしょうか。彼が慈愛に満ちた人だからでしょうか。

紛争のさなかに生まれたからこそ、平和を願う

1948年から現在に至るまで、76年にも及ぶ紛争は、アブラエーシュさんが生まれたときには既に始まっていました。

そのさなか、幼少期を過ごし、牛乳を売り歩いた少年は大人になって、嫌というほど理解していたのです。

「 憎しみを抱くことは周囲に憎しみを広げるだけ。問題解決にならない 」ということを。

自分だけのことを考えるのではなく、イスラエル人の赤ちゃん誕生に喜びを表したように、

どんな相手に対しても等しく接しようとする彼の信念が、一晩で気持ちを切り替えさせたのだと思います。

例え相手が自分の大切な人の命を奪ったとして、その人に憎しみを抱けば、それは「 他の人にも広がっていく」 、そう考えたのでしょう。

そうしてパレスチナとイスラエルの和解と共存を訴えた姿に世界中は感動しました。

私は感動ではなく、衝撃に似た思いを抱きました。

娘たちを殺されたことをイスラエル側に訴え、裁判もしました。

それでも、攻撃は当然のことだったと主張したイスラエルを彼は憎まないのです。

彼の生い立ちが生み出す平和への強い願い

作中、彼の甥や生き残った娘が、映画の中でインタビューを受けています。

そうです。アブラエーシュさんには5人の子どもたちが遺されました。

特に一人の娘さんは目に大怪我を負いましたが、生き永らえました。

この娘さんのインタビューは、その悲劇が昨日起こったかのような鮮烈さを持って語られていました。

眼鏡を外し、涙を拭う姿は、どことなく亡くなった母親の面影があるように感じました。

私は、アブラエーシュさんの妻が、子どもを3人も殺された事実を知らずに済んでよかったと思いました。

映画が終わりに向かうなかで、漠然とですが、私の中に一つの見解が浮かび上がりました。

難民キャンプで生まれたアブラエーシュさんは、小さい頃からたくさんの人が死ぬのを見てきました。

そして医師となり、たくさんの命が奪われていくのを見ると同時に、たくさんの命が誕生するところも見てきました。

家族を失った悲しみを持つ者は自分だけではないという思いを、常に抱えて生きてきたと思うのです。

自分だけが悲劇の主人公ではないことを冷静に受け止めたのだと思います。

だからこそ、人として、医師として、新しく生まれ続ける命のために、

イスラエルとパレスチナは平和と安定を取り戻すべきだ、と考えたのではないでしょうか。

生まれた頃から紛争の中で暮らす子どもをこれ以上見たくない、そんな気持ちもあったでしょう。

平和への願い届かず、2023年、またも多くの命が失われた

今、アブラエーシュさん一家はカナダで暮らしています。

そこで朝食を皆で用意し、祈りを捧げたあとに食べるシーンが、この映画の最初のシーンです。

今そのシーンを思い出すと、その食卓にはかつて8人の子どもと一緒に、妻が用意したご飯を皆で囲んで、微笑むアブラエーシュさんの姿が浮かびます。

未だ、このパレスチナ問題は解決していません。

解決どころか、2023年10月7日にはパレスチナの武装勢力とイスラエルが衝突し、多くの命が失われたのです。

その一年後の2024年10月、このドキュメンタリーは日本で公開され、そしてアブラエーシュさんは記者会見をしました。

今回の来日で彼が残した言葉をご紹介します。

「 平和という浜辺に辿り着くには、皆で船を漕がなければならない」と連帯を呼びかける言葉です。

そして世界中の人にガザの現状を知ってほしいと思っています。

「 平和を求めるパレスチナの人々の声になってください 」と心の底から願っています。

このように、平和を愛し求め続けているにもかかわらず、彼の言葉は双方に届いていません。

この問題は根が深く、簡単には解決しないでしょう。

そしてアブラエーシュさんは生きている限り、訴え続けるに違いありません。

最後に、アブラエーシュさんに対して、多くの人が共感しているという事実が嬉しいです。

私にとって、この事実だけがこの映画の救いでした。

執筆者

文・ライター:栗秋美穂

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