【 ネタバレなし 】「 エイリアン:ロムルス 」考察・感想レビュー

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“ 温故知新 ”を体現しているオマージュ作品。

故き恐怖が温められ、新たな恐怖を知ることになるだろう。

恐怖は不快指数と有機無機の局部の極所イマジネーションで悪夢と化すだろう。

映画「 エイリアン 」シリーズまとめ

目次

エイリアン:ロムルス

©Alien Romulus

あらすじ

恐怖の原点にして頂点である『エイリアン』の“その後の物語”。 人生の行き場を失った6人の若者たちが、生きる希望を求めて足を踏み入れた宇宙ステーション“ロムルス”。 だが、そこで彼らを待っていたのは、恐怖と言う名の絶望──寄生した人間の胸を突き破り、異常な速さで進化する “エイリアン”だった。 しかも、その血液はすべての物質を溶かすほどの酸性のため、攻撃は不可能。 宇宙最強にして最恐の生命体から、彼らは逃げ切れるのか? 広大な宇宙の密室で起こる究極のサバイバル・スリラーを、映画館で体験せよ!

(公式サイトより引用)

原題

Alien: Romulus

公開日

2024年9月6日

上映時間

119分

予告編

キャスト

  • フェデ・アルバレス(監督)
  • ケイリー・スピーニー
  • デビッド・ジョンソン
  • アーチー・ルノー
  • イザベラ・メルセド
  • スパイク・ファーン
  • エイリーン・ウー

公式サイト

エイリアン:ロムルス

作品評価

  • 映像 
  • 脚本 
  • キャスト 
  • 音楽(BGM) 
  • リピート度 
  • グロ度 
  • 総合評価 

考察・感想レビュー

©Alien Romulus

エイリアンについて

1979年に公開された「 エイリアン 」はSFホラー映画の創始的金字塔と言える。

僕はホラー好きだが、恐怖を感じる作品はそこまで多くない。

理由は、” 戦えば倒せる “を前提に鑑賞するからだ。

それゆえ、絶対に勝てないと判断したとき、はじめてそれを怖いと認めるのだ。

エイリアンはリドリー・スコット監督への注力が大きく、原作であり脚本のダン・オバノンについては語られることが少ない。

ダン・オバノンと言えばジョージ・A・ロメロの「 ゾンビ 」をパロディー化した「 バタリアン 」で一般的に知られているが、

エイリアンのイマジネーションの創始者でもある。

また、ロメロをリスペクトしているオバノンだからこそ、閉鎖空間で人類の脅威たるクリーチャーから生き残り脱出する

サバイバル・ホラーとして、ストーリーを確立させることができている。

ゼノモーフとギーガ

ゼノモーフXX121は、「 ビッグチャップ(デカい頭) 」と呼ばれ親しまれている。

今作の各種媒体では、映像的に的確な表現をされているにも関わらず、

ゼノモーフやオヴォモーフス、フェイスハガー、チェストバスターの意匠の根幹に触れていない。

そもそも、クリーチャーデザイナーであるH・R・ギーガについて触れられていない。

権利関係でもあるのだろうか?

悪夢の究極最凶生命体としてのゼノモーフは、導入文でも表現した“ 有機無機の局部の極所 ”

インダストリアルなデザインを学んだギーガによって、生命体との融合と生と死、

有機無機の腐敗がモノトーンかつグロテスクに、美しく表現されている。

ゼノモーフとチェストバスターは男性器。

フェイスハガー(腹部)とオヴォモーフスは女性器がモチーフなのは周知の事実だからだろうか?

ここに有機=生命の生死の生々しさが発露する。

ゼノモーフそのものは環境擬態とも言える無機=宇宙船内部構造を取り入れることで、生物として拒絶を表現している。

だからこそ究極最凶な生命体と成りうる。

1979年当時の僕は、今までの宗教的概念で描かれた” 悪魔 “の新しいイマジネーションと感じていた。

エイリアンシリーズの最高作品は?

シリーズの最大論点は、最高作品を第1作とするか、第2作とするかということだと思われる。

僕は第2作に否定的なスタンスを取っている。

なぜならエイリアン≒虫類の生命体に貶められた感覚だからだ。

どうも僕は、昔からジェイムズ・キャメロン作品が好みではないらしい。

その後、デヴィッド・フィーチャー監督やジャン=ピエール・ジュネ監督がそれぞれの創造性とリスペクトを込めた作品を系譜として、

リプリー・サーガとして発表してきた。

そして、各シリーズ作品が本来の根底に辿り着けてないと物申すかのように、

リドリー・スコットが再登壇し「 プロメテウス 」「 コヴェナント 」を発表した。

” 根底 “とは

欧米人に根付くキリスト教的禁忌である。

僕はゼノモーフを先述で” 悪魔 “と表現した。

キリスト教の信仰と、生と死と無機の存在は相反する物証に他ならない。

そして、人類の創造主(神)をイメージし名を唱えることは禁忌である。

その禁忌の切り札として、エンジニアと呼ばれる異星人が、人類の創造者として語られる。

彼等は増殖し、外宇宙に対し資源を貪る植民拡大を行う人類の存在を危惧し、人類を殲滅できる生物兵器を創造した。

そのシチュエーションは黙示録みたいではないか?

シリーズに登場するノストロモ号や他の艦船もノアの方舟に思える。

人類の種を運ぶ舟なのか?

天敵を送り込む舟なのか?

だがしかし、ゼノモーフ類と人類の融合を求め行動したのは人類側であり、エンジニアが危惧した我欲の末路である。

本作について

シリーズへの最高のリスペクトとオマージュを込めた本作品。

フェデ・アルバレス監督はシリーズを愛し、時系列的に可能な範囲のオマージュを落とし込み、

原点回帰を知らしめたのではないだろうか。

人間の進化促進と不死を求めた黒い液体によって、アレが人間から産まれる。

アレは人類の宗教的概念で表現されてきた悪魔の姿形ではないだろうか?

まとめ

過去のSFやホラー、またはキャラクターをアイコン化したシリーズ作品の多くは、

対象アイコンに特化し形式的に続編的展開を加味することで、アイコン・シリーズとして製作されてきた。

その究極形態がMARVELのMCUではないだろうか?

飽和したシリーズはマルチバースとして多元宇宙論に回避していく中で、スターウォーズのエピソード7で

“ オマージュ ”の神髄を魅せたJ・J・エイブラムス監督(SW以前にスタートレックで発揮していた)の手法が構文化され、

近年多くの若手監督が旧シリーズに対して愛と尊厳溢れる作品を生み出してくれるのは、映画ファンとして喜ばしい潮流である。

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