「 悪は存在しない 」悪夢と現実のサンドイッチ構造(キャスト・あらすじ・予告編)

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世界三大映画祭と米アカデミー賞で賞を獲得し、今や日本映画界を代表する巨匠となった濱口竜介。

そんな彼の新作は、前作から一転した異色の作りで観客を困惑させるもの。

濱口の新境地は一体どんなものなのか?

目次

悪は存在しない

あらすじ

長野県、水挽町(みずびきちょう)。自然が豊かな高原に位置し、東京からも近く、移住者は増加傾向でごく緩やかに発展している。代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(西川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。しかしある日、彼らの住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。

公式サイトより

公開日

2024年4月26日

上映時間

106分

予告編

キャスト

  • 濱口竜介(監督・脚本)
  • 大美賀均
  • 西川玲
  • 小坂竜士
  • 渋谷采郁
  • 菊池葉月

公式サイト

悪は存在しない

日本を代表する巨匠 濱口竜介の新作

©︎悪は存在しない

「 ドライブ・マイ・カー 」(2021)が日本映画として初めて米アカデミー賞作品賞にノミネートされ、世界の第一線に躍り出た濱口竜介。

そんな彼の新作「 悪は存在しない 」は第80回ヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を獲得した。

「 偶然と想像 」(2021)は第71回ベルリン映画祭で銀熊賞、「 ドライブ・マイ・カー 」は第74回カンヌ国際映画祭の脚本賞なども獲っているので、これで彼はカンヌ / ヴェネツィア / ベルリンという三大国際映画祭を制覇したことになる。

それにくわえて「 ドライブ・マイ・カー 」は第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を獲得。

世界三大映画祭および米アカデミー賞で受賞を果たした日本人監督は、黒澤明に続いて2人目である。

しかも濱口は、それをわずか3年の内にやってのけているのだ。

押しも押されもせぬ世界的巨匠となった濱口竜介だが、「 悪は存在しない 」は自主映画なみの低予算で、最近の分かりやすい作風から離れた、かなりクセの強い作品に仕上がっている。

本作は元々劇映画として企画された作品ではない。

「 ドライブ・マイ・カー 」の音楽を担当しているアーティスト石橋英子が、ライヴパフォーマンス用映像の制作を濱口に依頼。

そこから紆余曲折を経て、独立した劇映画も作られることになったものだ。

ほぼ同じ撮影素材を使用しながら、まったくの別編集で、ライヴ用映像「 GIFT 」と劇映画「 悪は存在しない 」の2本が作られている。

これについては映画のプログラムで経緯が詳細に語られているので、興味のある方はぜひお読みになるといいだろう。

悪夢的映像詩にサンドイッチされた現実的ドラマ

そのような製作の経緯からも一筋縄ではいかないだろうと分かっていたが、予想以上に変わった作品だ。

しかしこれが滅法面白い。

とてつもなく風変わりだし、これまでの濱口作品の系譜から見ても異色作と言えるが、忘れがたい印象を残す1本となっている。

この作品の風変わりさは、従来の濱口作品らしい会話劇が、悪夢的映像詩とでも言うべき解釈不能な2つのパートにサンドイッチされていることに由来する。

濱口作品では「 寝ても覚めても 」(2018)に近い雰囲気を感じるが、「 寝ても覚めても 」がタイトル通り全体的に夢か現実か分からないような内容だったのに対し、こちらは最初と最後に夢幻的なパートがあり、真ん中は現実的なドラマ。

その2つが何の説明もなくバサリと切り替わるため、今自分は何を見せられているのだろうと困惑することになる。

「 映画 」と「 演劇 」の面白さを兼ね備えた会話劇

作品の大部分を占めるのは、自然豊かな町に建設されるグランピング場をめぐるドラマで、この会話劇は非常に面白い。説明会のシーンは、一見地味に見えるが、話者の話し方や話す内容によって、登場人物の心理や場の空気がグイッと変化する様がドラマチックだ。

さらに息を呑むのは、グランピング場建設担当者2人の車内での会話シーンだ。

説明会ではただの憎まれ役のように見えた2人が、非常に人間くさくセンシティヴな会話を続ける長丁場は、見ているこちら側の心理、2人に対する見方が大きく変化していくことに興奮させられた。

先ほどまで明らかな現実だと思っていたものが、思わぬ形で変容を遂げる様は「 羅生門 」的ですらある。

これは、細かいカットを積み重ねる説明的な描写ではなく、人間同士のリアルな会話と心理変化を長回しによってとらえる手法から生まれるもの。

「 PASSION 」(2008)や「 親密さ 」(2011)で見られた驚異の長回しほど徹底したものではないが、同様の手法が洗練された形で用いられている。

濱口竜介の映画はどの作品も「 生きた人間がそこにいて話をしていること 」の面白さとスリルに溢れている。

これは本来良質な演劇において見られるものだが、それを映画の世界で当たり前のようにやってのけている。

「 映画の面白さ 」と「 演劇の面白さ 」…その両方を兼ね備えている点で、今 濱口の右に出る者はいない。

アーティスティックな映像詩と驚愕のラスト

問題は、最初と最後の悪夢的映像詩だ。

石橋英子の音楽は、マイケル・ナイマンとエレニ・カラインドルーを足してエレクトロニックにしたような雰囲気がある。

そのためこの2つのパートは、1980〜90年代のミニシアターで上映されたヨーロッパ系アートフィルムを想起させた。

どこか不穏で不気味な雰囲気は、濱口竜介と言うよりも、黒沢清風味が強い。

ラストの展開は狐につままれたようなもの。

事前にチラホラ否定的な意見が聞こえてきたのも無理はないと思った。

幾つかのヒントは与えられているものの、寓意的な演出とあまりに唐突な展開で、私も会話劇とのつながりを明確に説明できるわけではない。

しかし弱ったことに、これが異様に面白いのだ。

不条理すぎる展開は、黒沢清作品をはじめ、「 脱出 」(1972)「 ヘンリー 」(1986)など幾つかの映画を強く想起させる。

その驚きが、「 霧の中の風景 」(1988)や「 シテール島への船出 」(1984)などテオ・アンゲロプロスの映画を思わせる映像と合体したときの興奮は、並大抵のものではない。

意味は説明できないにもかかわらず、まさしく映画的なスペクタクル。

「 これでいいんだよ、映画は 」と言われているような気さえした。

人を選ぶが、はまる人には一生ものの映画に

とは言うものの、「 ドライブ・マイ・カー 」「 偶然と想像 」という近作2本からすると、ずいぶんマニアックな方向に走ったものだ。

「 PASSION 」などの初期作品と比べても、論理的な説明を拒絶するような印象では群を抜く。

ライトなファンには受けそうにない映画マニア御用達作品であり、非常に人を選ぶ映画であることは間違いない。

しかしハマる人にとっては生涯忘れられない映画の1つとなることだろう。

それほど得体の知れない、不気味な魅力を秘めた作品だ。

執筆者

文・ライター:ぼのぼの

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