「 パスト ライブス / 再会 」人との縁(イニョン)が織りなす傑作ラブストーリー【 あらすじ・キャスト 】
アカデミー賞で無冠に終わったのが信じ難い、史上屈指の恋愛映画。
何がこの映画をそんな特別なものにしているのか?
鍵は韓国語の「 イニョン 」にある。
パスト ライブス / 再会
あらすじ
ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。ふたりはお互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいたふたりは、オンラインで再会を果たし、お互いを想いながらもすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れる。24年ぶりにやっとめぐり逢えたふたりの再会の7日間。ふたりが選ぶ、運命とはーー。
公式HPより
公開日
2024年4月5日
原題
Past Lives
上映時間
106分
キャスト
- セリーヌ・ソン(監督・脚本)
- グレタ・リー
- ユ・テオ
- ジョン・マガロ
予告編
公式サイト
恋愛映画の五指に入る名作
第96回アカデミー賞で作品賞と脚本賞にノミネートされた作品。
気鋭のプロダクションA24の製作であり、評判の高さは伝わってきたものの、監督も出演者もまったく知らない名前。
オスカーもゴールデングローブもノミネート止まり。
国際映画祭で賞を獲ったというわけでもなく、見る前はそこまで期待していたわけではない。
ところが実物を見て、予想を遥かに超える感動を覚えた。
「 恋愛映画 」という範疇で考えるなら、これまでに見た恋愛映画の中で間違いなく五指に入る名作だ。
本作の何がそんなに良かったのか、逸(はや)る心を抑えて考えていきたい。
1990年代香港映画の香り
ほとんど予備知識を持たずに見たため、始まってしばらくの間、24年前の舞台は香港かと思っていた。
何故なら、現在(24年後)のニューヨークにいる3人の男女を映し出す導入部も、その後の雰囲気も、すべてが1990年代に作られた香港映画によく似た肌触りを持っていたからだ。
特にはっきり思い浮かぶのはピーチー・チャン監督の「 ラヴソング 」(1996)
主演のグレタ・リーがどことなくマギー・チャンに似ていたせいもあるだろう。
アメリカへの移住という話が、中国返還以降に海外へ出て行った香港の人々と重なったこともある。
実際の舞台は香港ではなく韓国のソウル。
ナヨン(ノラはアメリカ名)もヘソンも韓国人だ。
しかし韓国映画特有のアクの強さはなく、やはり最初から最後まで、1990年代香港映画を思わせる洗練された香りが全編に漂っていた。
香港が中国に返還された後、一国二制度は次第に形骸化。
映画人の流出や検閲の強化もあって、かつてのような「 香港映画 」は、もはやこの世に存在しない。
言葉は違っても、そんな香港映画の幻が、この2024年に新たな姿で目の前に現れてくれたことに、胸を突かれるような思いがした。
デジタルネイティヴなラヴスートリー
舞台が12年後(2010年代初頭)に飛んで驚いたのは、FacebookやSkypeといったITテクノロジーがストーリーに全面的に関わってくることだ。
12年前に別れたノラ(グレタ・リー)とヘソン(ユ・テオ)は、Facebookを通じて再会し、ソウルとニューヨークに離れていながら、Skypeでの会話を通じて親交を深めていく。
昔の恋愛映画と言えば「 すれ違い 」がストーリー形成の重要な要素だった。
そのため携帯電話が普及して、すれ違い設定が作りにくくなった頃、脚本家たちが新たなラブスートリーの型を作るのに苦慮していたことをよく覚えている。
もちろんITを全面的に取り入れたラブストーリーは、パソコン通信時代の「(ハル)」(1996)や2ちゃんねるの「 電車男 」(2005)、外国映画なら「 ユー・ガット・メール 」(1998)など、これまでにも作られてきた。
今やごく普通の恋愛映画であれば、携帯やLINEなどが小道具として使われない方が珍しい。
しかし、過去の作品にはどこかSNSを特別なものとする妙な力みが感じられたし、近年の作品はストーリーを進めるための小道具レベルの扱いがほとんどだ。
本作ほど自然にITが「 再会 」の場として扱われ、手紙でも電話でもLINEでもない、ビデオ通話ならでの微妙な関係性が描かれた作品を他に知らない。
そこに一切の力みはなく、「(ハル)」から30年近くかかって、ようやくデジタルネイティブな恋愛映画が誕生したことに目を見張った。
前項で、本作が今はなき香港映画に似ていると語った。
それは個人的な思いと言われればその通りだが、こちらのIT問題と合わせて、本作の中で流れる24年の歳月が、観客である自分が過ごしてきた24年とリアルな形で重なるという効果を発揮している。
自分もノラやヘソンと共に、1990年代末からの24年間を過ごし、過ぎ去った年月を思い出しながら、彼らの再会の場に共に立ち合っているかのような感覚…これは強力だ。
英語と韓国語の間で揺れるアイデンティティ
運命的に惹かれ合った2人が、空間的にも時間(時差)的にも遠く離れたソウルとニューヨークでビデオ通話をする不自然さともどかしさは、本作の大きなポイントだ。
そして本作には別の不自然さともどかしさも存在する。
12年後のやり取りで、互いが現実的に結ばれることはなさそうだと分かり、距離を置く2人。
ノラはその後、グリーンカード取得という目的もあって、同業の物書きであるアーサー(ジョン・マガロ)と結婚する。
2人の仲は十分に良好だ。
しかしアーサーは、ノラの韓国人としてのルーツに入っていけないもどかしさも感じている。
特に「 君は韓国語でしか寝言を言わない。君の中に自分が決して入っていけない場所があることが時々怖くなる 」という台詞は痛切だ。
この台詞に説得力を与えている要素がある。
ノラの英語が妙に分かりやすいのだ。
日本人である自分にとって、この分かりやすさは「 ネイティブの英語ではない 」ことを意味している。
文章の組み立てに、「 別の言語で考えた文章を英語に翻訳した 」かのようなニュアンスが微妙に感じられる。
韓国語は直接分からないが、英語などと比較すると、文法的にも日本語に近いという話は前から聞く。
そのせいもあってか、ノラの英語は日本人が日本的な発想で話す英語のように聞こえた。
つまり24年間英語圏で暮らしていても、ノラのルーツは韓国にあるのだ。
その一方で、ヘソンに「 君の韓国語はサビついてるな 」と言われ、「 今では韓国語を話す相手はあなた(=ヘソン)とママだけ 」と返すように、彼女はもはや韓国人とも言い難い。
そんなノラのあやふやな言語的アイデンティティが、ヘソンとアーサーの間で揺れるノラの姿にそのまま重なる。
イニョン 인연
本作のテーマは台詞で明確に示されている。
「 イニョン 」だ。
仏教の輪廻思想に由来する言葉で「 運命 」や人と人の「 縁 」を意味する韓国語だという。
ノラとヘソンは互いにイニョンで結ばれていることを自覚している。
それは12歳の時からだが、24年の歳月を経て36歳で再会したとき、2人は自分たちの間にあるイニョンをさらに明確に意識する。
だがイニョンは「 結ばれるべき運命にある2人 」といった単純なものではない。
何しろ元になった輪廻思想によれば、人生の層は八千もあり(=八千回もの人生を生きるのであり)、八千のイニョンがあるのだ。
前世で何らかの触れあいがあったが故に、この人生でも縁があった2人。
しかし八千もの人生に、それぞれのイニョンがある中、今この人生において2人が結ばれる運命だとは限らない…
しかもイニョンがあるのはノラとヘソンの2人だけではない。
ノラとアーサーの間にもあるものだ。
そしてヘソンとアーサーの間にも。
ノラとアーサーの関係は、ノラとヘソンの関係ほど特別なものではない。
アーティスト研修でたまたま一緒になり、2人とも独り身だったのでなし崩しのようにつきあい始め、早くグリーンカードを取得したいというノラの意向もあってすぐに結婚してしまった。
散文的で、現実的な関係だ。
それでも2人の間には、運命で結ばれたようなドラマチックなものとは違う、穏やかな関係が存在する。
2人の間に流れる空気は、恋人と言うよりも「 親友 」あるいは「 仲の良い兄妹 」のようだ。
それはそれでノラとヘソンの間にはない、特別なイニョンなのだ。
そんな3人の間にあるイニョンが明確に描かれるのが、ラストの驚異的な長回しだ。
ほとんど台詞はないのに濃密極まりないドラマを含んだ、このワンシーンワンショットだけでも、本作は映画史に長くその名をとどめることだろう。
すべての人にさまざまなイニョンがある。
それが常に決まった道をたどるわけではない。
深い縁のある相手と一緒になれることもあれば、なれないこともある。
縁があるはずなのに一緒になれない相手。
この人生を共に生きていくことで、より深いイニョンを築いていく相手。
そしてイニョンを持ちながら今生では出会うことのない数多くの相手…
この映画は、それらの運命、すなわち人生の出会いと別れをすべて肯定する。
「 パスト ライブス 」というタイトル
タイトルのPast Livesは、見る前は2人が過去に歩んできた人生(時間)のことだと思っていた。
しかし英語のスクリプトをあらためて確認しても、そのようなニュアンスで使われているところは1箇所もない。
実はPast Livesとは「前世(でのいくつもの人生)」という意味。
八千もある前世。
だからこそのLives。
この人生も、恋愛も、そんなLivesの中の1つでしかない。
今我々が生きている人生を悠久の時間の流れの中に置くような、そんな宇宙的視点こそ、この映画を特別なものにしている最大の理由だ。
文・ライター:ぼのぼの