「 蛇の道(1998) 」考察・解説・感想レビュー、黒沢清の描く奇妙なクライムサスペンス

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2024年、黒沢清は1998年に作った本作をセルフリメイクした。

それも舞台をフランスに置き換え、哀川翔が演じた役をジェンダー変更して柴崎コウが演じるものだ。

その原点となる1998年版「 蛇の道 」は、26年後に見ても十分なインパクトを持つ奇妙な映画だった。

目次

蛇の道(1998)

©蛇の道

あらすじ

幼い愛娘を暴行の末、殺害された宮下は、偶然知り合った塾の講師・新島の協力を得て、犯人への復讐を企んでいた。ある組織の幹部・大槻を拉致監禁した彼らは、拷問にも似たやり方で実行犯を暴こうとする。やがて、大槻の口から檜山という男の名前があがった。ところが、その名前を聞いた途端、宮下がひどく狼狽し始めたのである。彼は以前、その男と関係を持っており、彼の恐ろしさを知っていたのだ。それでも、次第にイニシアティヴを持ち始めていた新島の勢いに押されて、宮下は檜山を拉致。大槻と共に監禁し、娘を殺害した犯人の名前を吐かせようとする。ところが、新島が宮下に黙って、大槻と檜山にある提案をしてしまう。適当な名前を出して、犯人をでっちあげようというのだ。保身の為に、大槻たちは有賀という名前をあげる。一方その頃、檜山の女・コメットさんが、檜山捜索に乗り出していた。おとなしそうな容貌とは裏腹に、執念深い彼女の手は徐々に宮下らに迫ってくる。そんなこととは露知らず、新島をすっかり信用しきっている宮下は、罪を擦りつけあう大槻らを殺すと、新島と共に有賀拉致に乗り出した。いよいよ捕らえた有賀を連れて、ふたりは宮下の娘が殺害され、その模様がビデオに収録されたある廃工場へ赴く。そこは、新島の娘が暴行殺害された現場でもあった。宮下は、新島の娘もまた、大槻や檜山たちが製作したロリコンビデオの犠牲者だったことを、そこで初めて知る。宮下の行方を追って、工場へやってきたコメットさん一味。宮下と新島は、憎き組織を次々に銃殺していく。だが、その最後に新島が宮下を殴り倒した。実は、宮下もロリコンビデオの販売の担当として組織に絡んでおり、新島はそんな宮下を利用して、組織壊滅を狙ったのだ。宮下を監禁した新島は、復讐の最後として、宮下の娘が殺される模様を収めたビデオを彼に観せるのだった…。

映画.com「 映画 『 蛇の道(1998) 』 」より引用

公開日

1998年2月21日

上映時間

85分

キャスト

  • 黒沢清(監督)
  • 哀川翔
  • 香川照之
  • 下元史朗
  • 柳憂怜
  • 翁華栄
  • 砂田薫
  • 丹治匠
  • 佐藤加奈
  • 小田彩美
  • 田中瑞穂
  • 森裕悟
  • 新山和敬
  • 小鷲佳敬
  • 臼井秀雄
  • 大島孟

黒沢清初期の映画?Vシネマ?

©蛇の道

各種国際映画祭で受賞を果たし、今や日本を代表する映画作家の1人となった黒沢清。

そんな彼が歴史的大傑作「 CURE 」(1997年)に続いて撮ったのが、この「 蛇の道(1998) 」だ。

当時から高い評価を得ていたのは知っていたが、公開規模が極端に小さく、東京では中野武蔵野ホールで短期間上映されただけなので当時は見逃した。

もっとも本作に関してはその頃に流行っていた「 Vシネマ 」(オリジナルのビデオ作品)として語られることが多い。

ただしビデオ発売よりも先に劇場で上映されたこと自体は事実。

それをもって「 劇場映画 」とみなすか、「 本来Vシネマとして企画制作された作品だが、出来がよかったので劇場で短期間先行上映された(=本質はVシネマ) 」とみなすかは微妙な問題だ。

近年のネット配信作品なども含め「 何をもって映画とみなすか 」という話に発展してしまうので、ここでは深く追究しないことにする。

既にVシネマという言葉が死語になり、事実として劇場公開がなされている以上、「 CURE 」に続いて作られた「 映画 」として扱おう。

鈴木清順を思わせるアバンギャルドな演出

幼い娘を殺された男とその復讐に手を貸す謎の男が、容疑者を監禁し、復讐していく物語。

プロットだけ見ればいかにもなクライムサスペンスだが、これが一筋縄ではいかない狂った映画になっている。

「 CURE 」では比較的一般受けする演出でブレイクした黒沢清だが、こちらは「 神田川淫乱戦争 」(1983年)や「 ドレミファ娘の血は騒ぐ 」(1985年)といった、

最初期の作品に戻ったかのようなアバンギャルドな演出を見せる。

明らかにリアリズムを逸脱した様式的な作りは後期の鈴木清順を思わせるものだし、どこかゴダールっぽくもある。

そのため陰惨な復讐劇であるにもかかわらず、定型には収まらない、不気味さと滑稽さが同居した奇妙極まりない作品になっている。

特に仕込み杖の女殺し屋コメットさんや廃工場での銃撃戦は、あまりにも鈴木清順テイストだ。

16mmフィルムでの撮影が醸し出す非現実的な空気感

特に超常現象的なことは起きないにもかかわらず、画面にはホラー映画のような不穏な空気が終始流れ続ける。

その点からも、本作が「 CURE 」と「 回路 」(2000年)を繋ぐ作品であることが分かる。

この不穏な空気を作り出すのに大きな役割を果たしているのが、名カメラマン田村正毅の撮影だ。

16mmフィルムでの撮影ということで画面の解像度は低く、薄ぼんやりした感じのルック。

ところがこれが大きな効果を上げている。

特別なことはしていないのに、全てが夢の中の光景のように非現実的。

生と死の狭間にある、どこか別世界のようにも感じられる。

この世に存在しない数式の謎

さらにもう一つ、この作品の異様さを決定づけているのは、哀川翔が教師を務めている教室だ。

雑居ビルの一室で開かれている何かの教室。

カルチャースクールにしては貧乏臭く、雰囲気としては夜間高校のように見えるのだが、生徒は小学生から50代以上の社会人まで幅広い。

しかも教えているのは「 高等数学のようなもの 」

なぜ「 ようなもの 」かというと、「 数式のようなもの 」を解いているのだが、そこには数字が使われておらず、アルファベットと記号だけでできているからだ。

つまりは「 この世に実在しない高等数学 」

しかもその実在しない数式を駆使して、皆で時空間の解析について研究しているようだ。

一から十までありえないことだらけ。

この教室と数式を除いても十分に奇妙な作品ではあるが、これを取り入れたことで、本作はその非現実性を明確なものにしている。

しかしこの仕掛けは一体何だったのだろうか。

教室のシーンでは1人の生徒が書いた数式が「 それでは時間が逆に流れ、世界が無茶苦茶になってしまう 」と否定されている。

起きてしまった悲劇は決して元に戻らないし、復讐は所詮無意味な行為であることを示唆しているようにも見える。

一方、殺された少女と同じくらいの年齢の子が新たな数式を書き加えると、哀川翔はそれを賞賛する。

その数式が何を意味しているのか誰にも分からない。ただ意味不明さと不気味さだけが残る。

クライムサスペンスに流れるホラーの血脈

この不気味と不可解さの多くは、脚本家の高橋洋に由来しているように思う。

高橋は、中田秀夫と組んだ「 女優霊 」(1996年)や「 リング 」(1998年)で、1990年代後半から2000年代前半にかけてのJホラー隆盛を導いた脚本家だ。

しかし「 リング 」シリーズの後はメジャーシーンに背を向け、インディペンデントの世界で、時には監督も兼ねて、常人には意味不明な部分も多い「 怪作 」を作り続けている。

近年では「 霊的ボリシェヴィキ 」(2018年)が鮮烈な印象を残した。

リメイク版でカットされていることからしても、謎の数式は高橋洋のアイデアだと思われる。

彼はあの実在しない数式に一体どんな意味を込めていたのだろうか。

リメイク版の記事はこちらから↓

「 蛇の道(2024) 」考察・解説・感想レビュー、リメイク版はオリジナルを超えたのか

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