エクソシスト
あらすじ
ワシントン在住の女優クリスのひとり娘に、ある日、異変が起き始めた。謎の言動を繰り返し表情も変貌していく。検査結果も異常なし、クリスはついに教会の神父に助けを求めた。少女に悪魔が取り憑いたと感じた神父は、教会に悪魔祓いを要請。悪魔祓いのために立ち上がった悪魔払い師(エクソシスト)と悪魔との戦慄の戦いが描かれる。
原題
The Exorcist
公開日
2000年11月23日(ディレクターズ・カット版)
1974年7月13日
上映時間
オリジナル版:122分
ディレクターズ・カット版:132分
予告編
キャスト
- ウィリアム・フリードキン(監督)
- ウィリアム・ピーター・ブラッティ(原作・脚本)
- エレン・バースティン
- リンダ・ブレア
- ジェイソン・ミラー
- マックス・フォン・シドー
公式サイト
なし
エクソシスト、社会現象化したオカルト映画
ウィリアム・ピーター・ブラッティのベストセラー小説を本人が製作・脚色し、ウィリアム・フリードキンが監督して、世界中で空前の大ヒットを記録した映画。
アメリカでは1973年 / 日本では1974年の、それぞれ年間興行成績トップに輝いている。
その頃日本では、オイルショックや公害問題という社会不安に加え、1973年に出版された五島勉の「 ノストラダムスの大予言 」がミリオンセラーとなるヒット。
そこに本作が真打ちのように登場して、凄まじいオカルトブームが吹き荒れた。
1970年代中盤はオカルト映画とパニック映画、そして暴力性の強いアクション映画が劇場を席巻した時代だったが、その傾向が特に顕著なのが1974年。
この年の日本での興収上位5本は以下の通りだ。
- エクソシスト
- 燃えよドラゴン
- 日本沈没
- パピヨン
- ノストラダムスの大予言
こうやってタイトルを並べただけでも、当時の空気感が伝わってくるだろう。
興行的にヒットしただけではない。
アカデミー賞では、以下の10部門に堂々ノミネートされ、脚色賞と音響賞を獲得している。
- 作品賞
- 監督賞
- 主演女優賞(エレン・バースティン)
- 助演男優賞(ジェイソン・ミラー)
- 助演女優賞(リンダ・ブレア)
- 脚色
- 撮影賞
- 編集賞
- 音響賞
- 美術賞
この年の作品賞や監督賞は「 スティング 」が受賞。
ゴールデングローブ賞では作品賞(ドラマ部門)/ 監督賞 / 助演女優賞 / 脚本賞を受賞しており、作品的な評価も極めて高い。
すでに半世紀も前の映画だが、つい先日も本作の正統な続編と銘打った「 エクソシスト 信じる者 」(2023年)が公開されるなど、その影響力はいまだ健在だ。
大人気の漫画 / アニメ「 呪術廻戦 」も、初期はそこかしこに「 エクソシスト 」の影が見え隠れする(後の方になるとX-MEN化するが…)。
なお、今ではオカルト映画というとB級ゲテモノ作品的なイメージが強いが、監督のウィリアム・フリードキンは、「 真夜中のパーティー 」(1970年)で高い評価を獲得し、
前作にあたる「 フレンチ・コネクション 」(1971)でアカデミー作品賞や監督賞を受賞して時代の寵児となっていた人物だ。
そんなフリードキンの新作として、批評家やメディアの注目も集めるA級大作として公開されたことも、ヒットの一因だろう。
本作の映画化にはスタンリー・キューブリックも興味を示していたという。
もしそれが実現していたら、同じジャンルの作品を撮ることを嫌ったキューブリックのこと、「 シャイニング 」はあのような形では存在しなかったに違いない。
「 フレンチ・コネクション 」と地続きの世界観
そんな具合で映画史に名を残す「 エクソシスト 」だが、筆者の評価はそこまで高くなかった。
昔テレビやビデオで見た時は、まあまあ面白かった記憶があるのだが、ディレクターズカット版が2000年に劇場公開され、初めてスクリーンで見た時に退屈した印象が強かったためだ。
それは決して私だけではなく、「 リアルタイムで体験できなかった伝説のオカルト映画をスクリーンで見られる!」とあのとき渋谷東急に集まった観客の間から、
悲鳴やどよめきが起きることは一度もなく、「 あれ?こんなもの 」という感じの微妙な空気が流れたことを、今でもよく覚えている。
しかし午前十時の映画祭で同じディレクターズ・カット版が上映されたのを機に23年ぶりに再見したところ、ウィリアム・フリードキンならではの強烈な個性、
人間ドラマとしての深み、現代文明に対する批評など、さまざまな観点からとても興味深く見ることができた。
社会現象化するほどの大ヒットとなった作品だが、今の目で見ると、後のオカルト / ホラー映画とは比較にならないほど地味な作風だ。
ほとんどの場面は陰鬱でリアルな人間ドラマ。
キリスト教という精神的基盤がある欧米はまだしも、こんな地味な作品が日本でよく大ヒットしたものだと感心するほどだ。
ところがそのドラマ部分の地味で荒涼とした雰囲気が、実にフリードキンぽい。
つまりはジーン・ハックマン演じるポパイ刑事が走り回る「 フレンチ・コネクション 」のニューヨークと完全に地続きの世界観だ。
132分(ディレクターズ・カット版)の映画で延々と描かれるのは、いわゆるオカルトホラーではなく、荒涼とした物質文明に馴染めない現代人の孤独。
「 フレンチ・コネクション 」のポパイたちは、動物的な狩猟本能や強烈な欲望によって荒んだ世界に適応していたが、そこまで吹っ切れない一般人がもがくように生きる姿が、陰鬱なタッチで描かれている。
その代表が、本作の実質的な主役であるカラス神父(ジェイソン・ミラー)だ。
神父でありながら精神科医でもある、宗教と現代科学の狭間にいる人物。
母親を孤独に死なせた苦しみを抱え、ベルイマン映画の登場人物のように信仰の欠如に悩んでいる。
その上、精神医学だけでは人を救えない現実を知っているため、現代文明にも懐疑的。
神父と精神科医…共に人を救うはずの仕事でありながら、どちらでも人を救えないという無力感。
宗教にも科学にも根源的な救いを見出せない現代人の象徴のような人物だ。
何が悪魔を祓ったのか
そんなカラス神父が、科学では解決できない現象に直面して、今一度宗教に立ち返り、尊い自己犠牲によって少女を救う物語…のように見えるが、はたしてそうなのかというのが問題だ。
現代の科学がリーガンの悪魔憑きにまったく対応できなかったのは明らかだが、ある程度の効果をあげた宗教も、最終的に悪魔に勝利できたわけではない。
メインのエクソシスト(悪魔払い師)であるメリン神父(マックス・フォン・シドー)は、あと少しのところまで悪魔を追いつめながら、心臓病の発作で死んでしまう。
メリン神父が薬を飲むシーンは何度か出てきて、彼もまた現代の科学文明なしには生きられない人物であることが示唆されている。
悪魔を自らの体に乗り移らせ、そのまま窓から身を投げるというカラス神父の犠牲によって、リーガン(リンダ・ブレア)に取り憑いた悪魔は祓われる。
だがそれは宗教的な行為とは違う、衝動的な怒りや闘争心に近いものに見える。
ここを「 最後に宗教者としての自分に立ち返ったカラスが、自らの命と引き換えにリーガンを救った」と解釈すれば、物語としては実に気持ちのいいオチなのだが、何度観賞してもそのようには見えない。
カラスを突き動かしたのは、無垢の少女リーガンに対する「 愛 」ではなく、悪魔に対する「 怒り 」であったように見える。
その辺りからも、本作と「 フレンチ・コネクション 」には大きな共通点が感じられる。
ポパイが社会正義のために犯人を追い詰めたわけではないように、カラスも愛のために悪魔を祓ったわけではないようだ。
脚本は原作者のウィリアム・ピーター・ブラッティ自身なので、根本的なテーマは変わっていないはずだが、次作「 恐怖の報酬 」にも受け継がれるフリードキンならではの強烈な個性と世界観が、ブラッティのテーマを少し違う方向にねじ曲げたのかもしれない。
メリン神父役のマックス・フォン・シドーは、どう見ても70歳過ぎにしか見えないのだが、その後も2010年代まで活躍。
あらためて調べると1929年生まれなので、この映画に出たときはまだ44歳ほど。
いかにも老人ぽい体の動きは純粋な演技、あのシワシワの肌は全て老けメイクだったのか!
イングマル・ベルイマンの「 処女の泉 」で十代後半の娘の父親を演じたとき、まだようやく30歳ほどと青年の年齢だったことを知り、さらに驚愕。
東の笠智衆、西のマックス・フォン・シドー、東西を代表する老け役者だ。
文・ライター:ぼのぼの