映画は人生の師、映画探検家アーヤ藍が考える「 映画の力 」とは

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2024年11月から約1か月間、「 シネマ・チュプキ・タバタ 」で「 世界を届ける映画祭 」が開催されました。

本記事では、その企画に携わった映画探検家である映画探検家「 アーヤ藍さん 」のインタビューをお届けします。

執筆者

文・インタビュー:栗秋美穂

アーヤ藍(あーや・あい)

1990年生まれ、長野育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒業。在学中にアラビア語の研修で訪れたシリアが、帰国直後に内戦状態になり、シリアのために何かしたいという思いから、社会問題をテーマにして映画の配給宣伝を行うユナイテッドピープル株式会社に入社。同社取締役副社長を務める。2018年に独立。「映画探検家」として、映画の配給・宣伝サポート、映画イベントの企画運営、雑誌・ウェブでのコラム執筆を行う。アーヤはシリアでもらった名前。

目次

主催者と鑑賞者が皆でつくり上げた映画祭

チュプキさんとは、私が配給会社にいた頃からのご縁です。昨年夏に今回、『 世界を配給する人びと 』を出版しました。その出版元である春眠舎の大川史織さんがチュプキさんを訪れた際、代表の平塚千穂子さんに本の話をしたら『 一緒に刊行記念イベントをやりましょう 』と言ってくださったんです。

具体的にどんな企画にするかチュプキの平塚千穂子さん、柴田笙さん、春眠舎の大川史織さんとご相談する中で、1ヶ月もの期間にわたる特集上映という形で機会をいただけることになりました。1スクリーンのみの劇場なので、今思い返しても本当に貴重な機会をいただいたなと感じています。

過去にチュプキが実施したクラウドファンディングのお手伝いもしていた彼女。長年育み続けた関係性と謙虚な人柄が今回の映画祭へとつながりました。

ーー 今回の映画上映は一般的な新作上映ではなく、特集上映です。そのため、10年ほど前に制作された作品から新作まで制作年が幅広かったのも特徴ですね。

毎週のようにミーティングをしてどの映画を上映するかも皆で案を出し合って決めました。物理的・心理的に遠い国や地域、イシューの中にも、その声に耳を傾けてみるときっと自分とつながるものがある。

知らない世界の扉を開いていくことは、生きることの糧になっていく。そういう本に込めたメッセージと通じるものがある作品をピックアップしました。できるだけ多彩な国、地域、テーマと出会っていただけるように、ということも意識したことの一つです。

たしかに、取り上げられた映画のテーマは多岐に渡っていました。戦争紛争、多文化共生、社会的養護、自然との共生についても考えるという、社会問題の多くを取り上げたラインナップとなりました。

毎週3本ずつを4週間にわたり、合計12作品を上映しましたが、休日を使って3本連続で鑑賞される方や、何度も劇場に足を運んでほぼ全作品を鑑賞された方もいらしたようです。そういう意味では、この映画祭は「 主催者と鑑賞者が皆でつくり上げた映画祭 」だったのかもしれません。

ーー アーヤさんは、映画祭開催中、何度も劇場に足を運ばれたと伺いました。

普段地方に住んでいることもあって、当初はそこまで頻繁に行く予定ではなかったのですが、楽しくて嬉しくて、気づけば足繁く通っていました(笑)。

チュプキさんのアットホームな空間ゆえだと思いますが、鑑賞作品の感想や映画への愛をお話ししてくださる方が多くて、リアクションが伝わってきて『 映画が届いている 』というのを全身で感じる日々でした

チュプキの皆さんや、ご協力いただいたトークゲストの皆さんも、映画がもっている力や、他者へ関心の翼を広げることの大切さを深く感じていらっしゃる方々だったので、胸がキュッとなるようなニュースも多い日々の中で、未来への希望を私の方が受け取った感覚です 。

映画配給の仕事をするつもりはなかった

映画を愛し、皆で分かち合うことの喜びも知っているアーヤ藍さんですが、映画の仕事がしたくて映画の世界に入ったわけではなかったそうです。

その著書「 世界を配給する人びと 」の中でも書かれていますが、きっかけは大学時代に滞在したシリアが帰国直後に内戦状態になってしまったことだと言います。

素敵な思い出や大事な友人ができた場所が戦火に飲まれていくなかで、なんとかしたい、日本でももっと関心をもってもらいたい、と思いを募らせていた中で、「 映画で伝える 」という道へ進むことになりました。

ーー このように、映画配給という形で社会問題を提示してきたアーヤ藍さんにとって、映画とはひとつの表現方法なのでしょうか?

私自身は映画の力をどんどん感じるようになっていますが、みんながみんな映画を観るべきだとは思っていません。今回、本を出版して本がもつ力も感じていますし、他の表現の方法もそれぞれの力があると思います。

一人一人の受け取りやすい形やタイミングによって、様々な表現から世界に出会っていくことで、より世界が深まっていくのではないでしょうか。

以前は、映画を見て『 知ってほしい 』『 何か観た人が次のアクションを起こしてくれたら 』いいなという気持ちがありました。それはどこか『 知るべきである 』『 行動するべきである 』という押し付けるような気持ちだったようにも思います。

今はそうではなくて、映画の中からお1人お1人が受け取ったものが、その人の人生とつながって、心に残り続けてくれたらうれしいなと思っています 。

心に残る何か一つを届けるために

私は、映画を通して(見た人の)人生の中で心に残る何かを届けられたらと願っています。それは心が温まるものかもしれないし、何か引っかかり続けるものかもしれない。時間が経って変わっていくものかもしれない。

最近は社会問題を知ってほしいという気持ちよりも『 一緒に分かち合いませんか 』という気持ちになってきました。肩ひじ張らずに心を開いて分かち合うなかで、自分自身とつながるものを見つけて安心感を覚えるかもしれないし、自分の中にはなかった世界を広げてくれて、想像できる心のひだを増やしてくれるかもしれないと感じています。

映画は師匠。いつでもどこでも扉を開けば何かがある

ーー 最後に、アーヤ藍さんにとって映画とは何でしょうか?

映画は私にとって『 師匠 』という感じですね。自分の知らない世界へ連れて行ってくれる存在ですし、悩んだり落ち込んだり、何かモヤモヤすることがある時に『 相談 』できる存在でもあります。

生身の人間の師匠だと、連絡してもいいかな、迷惑じゃないかなとためらってしまったりしますが、映画は、自分が望む時にいつでも開くことができる扉があるんです。その扉を開いたら(映画と)対話ができます。

今日は喜びの扉を開きたいのか、それとも泣ける扉を開きたいのかも、自分で決められます。どんな時でも、映画はすごく自分の人生に寄り添ってくれます。だから師匠であり、人生の大事なパートナーのような存在です。

アーヤ藍さんの表現が感性豊かなのは、映画を通じて多くの社会問題と向き合ってきたからかもしれません。私たちの生きる世界には、映画というたくさんの扉があります。それに気づけば後は開くだけ。世界との対話が始まり、人生が更に豊かになるのだということを教わったインタビューでした。

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