2001年に公開され、一部の映画ファンから熱い支持を受けた伝説の映画がリバイバル公開された。
今も衰えぬ瑞々しさの秘密は何なのか?
ゴーストワールド
あらすじ
1990年代アメリカ、都市郊外の名もなき町。高校の卒業式を迎えた、幼なじみで親友のイーニド(ソーラ・バーチ)とレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)。バカな同級生たちともいよいよお別れ。しかし、高校を卒業したからといって、退屈な街で心が満たされることはないし、気持ちわるい大人たちの仲間入りもお断り。二人は進路も決めず、あてもなく町をぶらついては面白いことを探して過ごしている。
ある日、お気に入りの50年代風ダイナーに入り浸っていた二人は、新聞の出会い系広告を見つける。いたずらで広告主を呼び出してみると、現れたのはいかにもモテなさそうなダサい中年男・シーモア(スティーブ・ブシェミ)。しばらく待ちぼうけを食らっていた彼は、やがて自分が騙されたことに気づくと怒って店を出て行ってしまうが、すかさず二人は男を尾行して自宅を突き止める。
後日、ふたたび男の家を訪れると、ガレージセールを行っているシーモアの姿があった。彼はブルース・レコードのコレクターで、ブルースについて喋り出すと止まらなくなるのだった。孤独でも自分の世界に生きるシーモアに関心を持ったイーニドは、彼の”理解者”として交流を深め、奇妙な友情関係を築いていく。一方、アパートを借りるために地元のコーヒーショップに就職し、社会と折り合いをつけて自立しようとするレベッカは仕事中心の生活になっていく。同居を計画していた二人の間には次第に距離が生まれ……。
公式サイトより引用
公開日
2001年7月28日(日本初公開)
原題
Ghost World
上映時間
111分
予告編
キャスト
- テリー・ツワイゴフ(監督)
- ソーラ・バーチ
- スカーレット・ヨハンソン
- スティーブ・ブシェミ
- ブラッド・レンフロ
- イリアナ・ダグラス
- ボブ・バラバン
- テリー・ガー
- デイブ・シェリダン
- ブライアン・ジョージ
- ステイシー・トラビス
- チャールズ・C・スティーブンソン・Jr.
公式サイト
世紀の変わり目に生まれた伝説の映画
2001年。
21世紀の幕開けを飾る年だが、バブル崩壊後の経済停滞にあえぐ日本に華やいだ雰囲気はなく、1990年代から続くざらついた空気に満たされていたことを覚えている。
そして9月11日、アメリカ同時多発テロが勃発。
東西冷戦の終結によって世界平和が訪れるという夢は打ち砕かれ、21世紀は大きな激動によって幕を開けることになった。
この映画が日本で公開されたのは、そんな決定的事件が起きる少し前のこと。
宮﨑駿の「 千と千尋の神隠し 」が多数の観客を集めていた時期にミニシアターで公開され、一部の映画ファンから熱い支持を集めた。
筆者も初公開時に感動して2回くらい見たはずだが、その後、再見の機会がなかったので細部はほとんど忘れていた。
劇場でのリバイバル公開で23年ぶりに再見。
最初のうちこそ「 こんな程度だっけ? 」という感じだったが、話が進むうちにどんどん面白くなり、初公開時を超える感動を覚えた。
2001年に作られたささやかな映画は、なぜ2024年になっても瑞々しさを失わないのか?
この世界に自分の居場所はない
この作品、ポスターを見ても分かる通りイーニド(ソーラ・バーチ)とレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)という2人の女の子の物語だと思われがちだが、それは違う。
最初のうちはこの2人の物語に見えるが、レベッカは、イーニドがいかに社会と馴染めないか、そのアウトサイダーぶりを測るためのリトマス試験紙的な存在に過ぎない。
ドラマ的に言えば、本作は明らかにイーニドとシーモア(スティーブ・ブシェミ)という2人のアウトサイダーが主人公だ。
タイプこそ違え「 この世界に自分の居場所はない 」という疎外感を抱える2人の姿は、今見ても全く古びていない。
何十年経ったところで変わりようがない人間の孤独。
それを甘やかすわけでもなく、突き放すわけでもなく、しかしそっと側に寄り添うかのような絶妙な距離感…これが本作の色褪せない魅力だ。
それにしてもこのキャラ設定は、今見るとさらに痛い。
イーニドの70%、シーモアの80%が自分自身の姿に見えてしまうからだ。
初公開当時なら、もっとレベッカ的な生き方もできていたのだろうが、結局のところ自分はこの2人と同じような生き方をしてしまったという思い…とてもではないがシーモアが他人とは思えない。
来るはずのないバスが向かう先は?
高校を卒業しても自分が進むべき道を見出せないイーニドと、地道に社会との折り合いをつけることを選んだレベッカ。
2人の姿が前面に出ているため、本作が「 青春映画 」と呼ばれるのは無理もない。
だが、シーモアという人物の重要性を考えれば、もっと普遍的に「 社会システムになじめない人間の物語 」と捉える方が妥当だろう。
それでもシーモアは、普通の仕事をしつつ、ブルースレコードの収集という趣味の城に閉じ籠もることで自我を保っていた。
しかし、まだ何者でもなく、自我を守る具体的な戦略も持てないイーニドは、結果的にシーモアの大切な城を壊してしまう。
寄り添いそうでいて、結局寄り添うことができない2人。
親友だったレベッカとも、精神的な同志であったシーモアとも、道を違えることになったイーニド…彼女はこれからどんな生き方をしていくのだろうか。
最終的にイーニドは「 来るはずのないバス 」に乗って、どこかへ去って行く。
アメリカンニューシネマの名作「 ファイブ・イージー・ピーセス 」(1970年)へのオマージュにも見えるラストだ。
退屈な町を後にしたイーニドの新たな旅立ちにも見える。
だがバスに先に乗った人物のことを考えると、「 死 」を暗示したもののようにも受け取れる。
あのバスは一体どこへ向かうのだろうか?
たとえ泥沼のような人生であっても、まだ若いイーニドには、自分の居場所を探し続けてほしい。
文・ライター:ぼのぼの