
映画がサイレント(無声映画)からトーキー(発声映画)へ移り変わる、過渡期の栄枯盛衰物語。
豪華絢爛かつ下品極まりない映画の裏側を堪能。
1920年代に映画は大衆娯楽として、文化の寵児に躍り出た。
時代を牽引する者たちは、欲深く、恥も外部も節操もなく悦楽に溺れ我を忘れていく。
そして淘汰される。
それは決して過去だけの出来事ではない。
画像の引用元:IMdb公式サイトより
(アイキャッチ画像含む)
バビロン


あらすじ
公開日
2023年2月10日
原題
Babylon
上映時間
189分
キャスト
- デイミアン・チャゼル(監督)
- ブラッド・ピット
- マーゴット・ロビー
- ディエゴ・カルバ
- ジーン・スマート
- ジョバン・アデポ
- リー・ジュン・リー
- トビー・マグワイア
- オリビア・ハミルトン
- P・J・バーン
- ルーカス・ハース
- マックス・ミンゲラ
- ローリー・スコーベル
- キャサリン・ウォーターストン
- フリー
- ジェフ・ガーリン
- エリック・ロバーツ
- イーサン・サプリー
- サマラ・ウィービング
- オリビア・ワイルド
予告編
公式サイト
作品評価
- 映像
- 脚本
- キャスト
- 音楽
- リピート度
- グロ度
- 総合評価
考察レビュー


今作に何を期待して鑑賞に挑むのだろうか?
上映時間189分の長尺。
デイミアン・チャゼル監督の作品だからか?
ブラッド・ピット推しか?
マーゴット・ロビー推しか?
絢爛豪華な映画界の裏の世界か?
このどれをも期待して良い作品と言える。
デイミアン・チャゼル監督は《 ラ・ラ・ランド 》で2人の男女とミュージカル映画へのリスペクト・オマージュを描き、前作《 ファーストマン 》では、アメリカ偉業を装飾なく丁寧に描いた。
そして、今作ではアメリカ映画界へのリスペクト・オマージュを描いていると感じた。
1910年代後期以降、映画は大衆娯楽文化として巨大産業へと変貌を続けていた。
人々は日々の苦難から映画で心を潤し喜び笑い泣いた。
業界人は日々を喧噪と狂騒の埋没させ、心身を濡らし悦び泣いた。
今作の時間軸として始まる1926年の10年前の世界は、第一次世界大戦の恐慌の最中だった。
世界の人々が恐怖と哀しみから解放された時代と文化文明享受の時代だった。
しかし、時代の花が開こうとも永遠不変ではない。
生花の如く、輝き、萎れ、種を落とし、芽吹き、また花開き輝く。
映画も人生も同じく繰り返す。
しかし人生には寿命があり、時間は限られている。
映画は記録であり、その奇蹟は検証され継承されていく。
それを“文化”と呼ぶのだろう。
今作は現代から約100年前の時代で日本でも『 活動写真 』と呼ばれ興行していた。
洋画では映像から勝手な解釈でスクリーン横に立つ弁士(カツベン師)が、蕩々と物語を生演奏をバックに語っていた時代でもある。
周防正行監督の《 カツベン!(2019)》を観れば、娯楽文化や文明の歴然とした違いを比較するのも面白い。
そして、時代はカラー映画になり、大がかりな特殊技術が発展、画像合成(CG)はスクリーンから演者や景色の神がかった奇蹟とも言える瞬間を必要としなくなった時代に突入する。
さもすれば、僕らの視界は3Dと前後左右上部からの立体音響で、スクリーンを観るのではなく、スクリーンの中に没入させてしまう。
この、日進月歩する技術進化のアプローチに対して、旧き良き時代に止まらず進化していく映画界に、敬意と期待と畏怖を敬意をもって堪能すべき作品である。
ラストでネリーが暗闇に1人で消えていくのはなぜか?
恋人になったマニーに危害が及ぶのを防いで、1人でメキシコに逃がす為に身を引いた。
スターになったネリーは、激動の時代の波に逆らえず、身を滅ぼし消えて行った。
と理解するのが自然でしょう。
まとめ


今作における制作地域の主宗教を知っていると、作品の概要が解り易くなると思っている。
《 バビロン(Babylon)》とは、紀元前19世紀頃の古代メソポタミア(現:イラン)に発生した『 バビロニア 』の王都の名称でハンムラビ王が兼行している。
ハンムラビ法典の通りに、作品内の人々は反省や自戒なき人生で「 目には目を歯には歯を 」を体現している。
また、キリスト教の旧約聖書では『 バベル 』と呼称され、原語のヘブライ語では『 ビルベル(billbrl)』から“ 混乱 ”を現している。