ギレルモ・デル・トロ的「 山月記 」とでも言おうか。
ギレルモ・デル・トロ的なダークさはあるものの、ファンタジー性は皆無で開戦前と戦後に漂う社会の疲弊と闇の蠢きに身悶えするだろう。
人間の魂には猛獣使いと猛獣が常に目を合わせながら制御と暴走が入り乱れている本質を垣間見る事になる。
画像の引用元:IMdb公式サイトより
(アイキャッチ画像含む)
ナイトメア・アリー
公開日
2022年3月25日
原題
Nightmare Alley
上映時間
150分
キャスト
- ギレルモ・デル・トロ(監督)
- ブラッドリー・クーパー
- ケイト・ブランシェット
- トニ・コレット
- ウィレム・デフォー
- リチャード・ジェンキンス
予告編
公式サイト
作品評価
- 映像
- 脚本
- キャスト
- 音楽
- リピート度
- グロ度
- 総合評価
考察レビュー
今作については多くのレビューで「 因果応報 」と表記されてた。
鑑賞中、脳裏に即座に浮かんだ言葉だけど、僕の中でなにかが引っかかっていた。
この四字熟語だけでは浅いと。
そこで、自分の記憶の旅に入っていくことになる。
次に浮上したワードは「 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいてるだ 」フリードリヒ・ニーチェの言葉。
しかし、このワードも違う。
これは結果に対しての評するワードだ。
なにか?何が引っかってているんだ?
これだ「 山月記 」
1942年に発表された中島敦デビュー作の短編小説。
清朝の説話集「 唐人説薈 」中の「 人虎伝 」が素材とされている。
物語は唐(旧中国の一部)の時代、李徴は若くして科挙に合格するほど優秀だったが、俗悪な支配層に仕えるしか出来ず詩人として名声を求めるが失敗。
妻子を養うために役人に戻ろうとするも下級職しか与えられず、屈辱から発狂して山に消え、いつしか李徴は人喰い虎に姿を変えていた。
何を伝えたいかと言うと、人間は誰しも大なり小なりの欲望と言う猛獣を抱え生きている。
この猛獣は倫理や道徳や愛と言う檻に留められ、誇りと言う猛獣使いによって制御されている。
しかし誇りが利己的な自尊心に堕ちた時、猛獣使いは消え、檻の扉は開いてしまう。
だけど、猛獣であっても人に飼われて文明の中で育ったのならば大自然の誇り高き野獣には決してなれず。
また、いつしか檻にもどるしかなくなる。
もどった檻は堕落と蔑みと嘲笑に曝されることになる。
こうやって考察すると、因果応報と同じく多くの方がギレルモ・デル・トロ監督作品にしては、暗黒面も薄くアッサリだと評しているが、
本質的な主題を掘り下げれば僕たちが、現代社会が自省自戒を必要としない生き方が、もてはやされている実情に対するアンチテーゼなのではないか?
まとめ
人間は目先の欲望と享楽を見つめ生き続けるのではなく、自分自身を常に見つめ続ける事で人間(ヒト)として生きていけるのだと、ホルマリン漬けの胎児「 エノク 」が伝え続けているのだろう。