「 ヴァチカンのエクソシスト 」ネタバレなし考察レビュー、あらすじ&キャストまとめ

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懐古と定番と新基軸を魅せる祓魔ホラーエンターテイメント。

あなたが観たかったのは?

リアル・フィクションなのか?

スプラッター・ホラーなのか?

挑み、認識すべきは悪霊でもモンスターでもない。

それは脆弱な魂(霊)と悪魔(悪意)と人間(信仰)と神(赦し)である。

目次

ヴァチカンのエクソシスト

©︎ヴァチカンのエクソシスト

あらすじ

ローマ教皇から依頼を受け、悪魔に憑依された少年を救うべく悪魔祓いに挑むアモルト神父の物語。

原題

The Pope’s Exorcist

公開日

2023年7月14日

上映時間

103分

予告編

キャスト

  • ジュリアス・エイバリー(監督)
  • ラッセル・クロウ
  • ダニエル・ゾバット
  • アレックス・エッソー
  • フランコ・ネロ

公式サイト

ヴァチカンのエクソシスト

作品評価

  • 映像
  • 脚本
  • キャスト
  • 音楽
  • リピート度
  • グロ度
  • 総合評価

考察レビュー

©︎ヴァチカンのエクソシスト

幼い魂に憑依する悪魔と戦う神父と言う構図は誰もが知る「 エクソシスト(1973)」で、ウィリアム・フリードキン監督がホラー映画に悪魔と信仰としてリアリズムを落とし込んだ。

しかし、エクソシズム(祓魔)の方向性は多岐に展開する。

悪魔と人間ならば「 オーメン 」

グロテスクな特殊効果は、一世を風靡するスプラッター映画で過度な演出に傾倒していく。

そんな経過においてエクソシズム系は、リアルやドキュメンタリー的な方向に向って行くことで、エンタメ化する楽観的に定義付けられた演出を旨とするホラー作品の中で地味に埋没していた。

事実、僕の観点で「 エクソシスト 」は特殊効果の凄味であって、精神的な素養としては、キリスト教の中で最重要な教えのアガペ(犠牲愛と訳されるが)を感じる感動だった。

反対に「 オーメン 」でサタンの復活に対して、シリーズの1と2では人間と信仰がサタニストたちによって敗北していく様相に恐怖した。

しかし、最後は人間としての愛に敗北する終着点は、ご都合主義に感じ取れた。

さてさて、本作品では上記の金字塔作品の素養が詰め込まれている。

その上で、エンターテイメント的なバトル演出を派手目に展開している。

同時に「 ダ・ヴィンチ・コード 」シリーズで魅せる、キリスト教の闇を暴く的な展開も面白い。

何故ならば、日本人の大好きな中世ヨーロッパの騎士道や魔女狩りの暗黒時代でのキリスト教の暴挙。

イヤイヤ、教区毎の司教が組織上層部に貢ぐ事によって権力を得るために、悪魔や魔女と言う恐怖と不安を民に植付け、免罪符と言う金銭で購入出来る約束手形で罪を赦されると拝金主義に傾倒していった。

こういった、キリスト教の闇と現実と信仰の精神均衡はとても難しい。

現代的に言えばノーコンプライアンスとハラスメントに他ならず、そこに空気を読まない(実は誰よりも配慮してる)ガブリエーレ・アモルト神父の人間力が輝く。

実像とは異なるガブリエーレをラッセル・クロウが演じることで、ホラー・バトル・エンターテイメントとして、一気呵成(いっきかせい)な作品に仕上がっている。

本作品のエンタメ性を楽しむか?

いくつものキーワードに秘められた、キリスト教会の闇や悪魔の侵攻を模索するか。

多様性の見解を知見する映画と言える。

まとめ

僕は「 エクソシスト 」で言及する憑依に関して、第二次性徴期に差し掛かるデリケートな子供から少女に変化していく際の不安と不満が憑依の要因と捉えている。

本作でも類似した展開を示している。

現代社会では常に誰かと繋がりながらも、孤独の不安の渦の中で何かを求め欲望が深く闇に堕としめられてはいないか?

悪魔の声は誰でもない誰か誰かの声に他ならない。

信仰とは神に縋るモノでも、赦される為のモノではないと僕は思う。

神に対して誇れる自分である為の自戒だと考える。

だからこそ。

父と子と聖霊の御名においてエイメン(in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit – AMEN)

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