かつての映画館は途中入場・退出が当たり前だった?【 体験談② 】

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かつての映画館は途中入場 / 途中退出は当たり前

前回の記事では、かつての映画館が「入替無し / 自由席」であり、それがシネコンの普及と共に「 全席指定 / 完全入替制 」に変化していったことについて書いた。

そして昔の「入替無し / 自由席 」の映画館ならではの風習(奇習?)があった。

それは適当な時間にぶらっと劇場に入って、映画を途中から見て1周し、2本立てならその間に別の映画を1本はさんで、入場して見始めたところまで見て帰る…というものだ。

最近「 映画を早送りで観る人たち 」(稲田豊史 著)という本が話題になったが、緻密な作劇を無視するという点では「 後半から見て前半を見たら帰る 」という行為の方が、早送りよりもさらにバチ当たりだと言えよう。

もちろん完全入替制の今では不可能な行為だ。

2回分の料金を払うなら別だが、そんな酔狂な観客は、いたとしてもごくわずかだろう。

「 途中入場お断り 」を宣伝文句とした映画「 サイコ 」

©︎Psycho

ヒッチコックの「サイコ」(1960年)は、「 途中入場お断り 」を方針と掲げたことで話題になった。

「 サスペリア 」(1977年)の有名すぎるキャッチコピー「 決してひとりでは見ないでください 」と同様、反語的な惹句という意味もあっただろう。

しかしお分かりだろうか?

それが宣伝上の話題となるほど、かつての映画館では「 途中入場 / 途中退出 」がごく当たり前の行為だったということだ。

さすがに「 サイコ 」は生まれる前の話なのでリアルに知っているわけではないが、この風習は、日本では1970年代にはまだ当たり前、80年代から90年代にかけて次第に影を潜め、完全入替制の導入によって息の根を止められたというのが漠然とした印象だ。

「 漠然とした印象 」というのも無責任な話だが、映画の動員数や興行収入ならともかく、「 映画の観客のうち何人が途中入場したか 」という正確な統計などありえるはずもなく、観客としての印象で語るしかあるまい。

私自身は非常に真面目だったので、映画を真剣に見るようになった中学生以降にやったことは、ごくわずかしかない。(それでも決してゼロではない)

しかし小学生の頃は、一緒に見に行く親や友達との付き合いもあってごく当たり前にやっていた。

もはや昔過ぎて具体的な作品などは覚えていないが、途中から入って立ち見をして、次の休憩時に席に座る…ということはよくやっていた記憶がある。

だから昔は「 映画館に入ったらしばらく暗闇に目を慣らし、目が見えるようになったら席を探す 」という業を当然のこととして理解していた。

今になって考えてみれば、それは映画を途中から、少なくとも予告編の途中で劇場に入るからこそ覚えた業ということだろう。

今はそういう行為が当たり前ではないため、「 暗闇に目を慣らす 」という行為を知らない若者が、すでに映画の上映が始まった劇場内で、スマホの懐中電灯(スマホの画面ならまだしも懐中電灯!)を照らして席を探すという愚行に走るわけだ。

映画館は「 映画を見られる休憩所 」だった

誤解なきように書いておくと、誰もがそんな見方をしていたわけではない。

大多数の観客は時間通りに来て、順番通り映画を頭からお尻まで見ていた。

ただどんな映画でも途中入退場をする人は一定数いて、映画館はもちろん、観客もその行為を特に気にしていなかったということだ。

非常に感動的な映画だと、「 ああ、あの人はこの映画の正しい感動を味わう事ができないんだな 」とかわいそうに思ったり、ストーリーが複雑な映画だと「 この映画を途中から見たらチンプンカンプンなのでは…?」と気になったりしたことはあるが。

まだ書いていないさまざまな点も含めて言えるのだが、要は昔と今では「 映画館 」というものの役割が少なからず違っていたのだ。

今の映画館(シネコン)が「 映画を迫力ある環境で見せる 」「 ついでにポップコーンなどを買わせて利益を上げる、半分は飲食業 」といった存在になっているのに対し、

昔の映画館は飲食業という側面はほとんどなく、「 映画を見られる休憩所 」という側面がかなり大きかった。(「飲食業という側面はほとんどなかった」という点については、また稿を改めて書きたい)

休憩所なのだから、いつ出入りしようが自由である。

必ずしも映画メインではなく、空調が効いた場所でしばらくの間休み、さらに映画も見られるお得なスペースということだ。

これはもちろん入替無しだったからこその話であり、他の娯楽が少なかったことや、映画の鑑賞料金が、相対的に言えば今より安かったという事情も大きく関係している。

今ならスタバのようなカフェやファストフードでスマホをいじっていた方が安上がりであり、映画館の性質が変わるのも無理はない。

シネコン普及前から途中入場が減っていった3つの理由

ところで完全入替制は、主にシネコンの普及によって導入され、既存の映画館もそれに倣うようになったためだが、それは21世紀に入った頃からだ。

それなのに途中入場 / 途中退出の風習が「 80年代から90年代にかけて次第に影を潜め… 」という記述を不審に思った方もいるのではないだろうか。

これには主に3つの理由があると見ている。

「 暇つぶし 」という行為自体が時代遅れになっていった

1つ目は、まだスマホこそなかったものの、以前よりも娯楽が多様化し、映画館を休憩所にして何時間も「 暇つぶし 」をするという行為自体が時代遅れになっていったためだ。

特に80年代以降、コンピューターゲーム(ファミコン)やウォークマン、そしてビデオレンタルの普及が大きかった。

それなりの初期投資をしてゲーム機やビデオデッキ(80年代は10数万〜20数万円くらいした)などを買った人なら、減価償却の意味からも、映画館で時間を潰すよりは、家でゲームをやったりビデオを見たりした方がいいというわけだ。

屋外でウォークマンを使い音楽を聞くことも、今よりずっとクールな行為とみなされていた。

このような新たな競合娯楽の登場は、テレビの普及によって激減した映画人口が80〜90年代にさらに低迷し、96年にどん底を記録した大きな原因でもある。

ミニシアターが「 途中入場禁止 」を打ち出すようになった

2つ目は、文化的な雰囲気を売りにするミニシアターが「途中入場禁止」を打ち出すようになり、ミニシアター自体の動員は少ないものの、映画ファンの間で「時間通りに入場するのは当たり前」という認識が常識化していったため。

情報誌の普及

3つ目は、「 ぴあ 」「 シティロード 」といった情報誌の普及。

これによって映画の上映時間が簡単に分かるようになったため、多くの人が本屋やコンビニの店頭でぴあを開き、上映時間を確認した上で、それに合わせて映画館に向かうようになった。

念のために書いておけば、当時はスマほどない。

映画館の公式サイトもない。それ以前にインターネットがない!

映画の上映時間を確認するには、映画館に直接行くかわざわざ電話をかけるか(もちろん携帯電話などない!)、そうでなければぴあか新聞で上映時間を確認するものだった。

さらに念のため書けば、当時は今よりもはるかに「町の本屋さん」が当たり前に存在し、ぴあが店頭に並んでいたのだ!

この「 情報誌が果たした役割 」についても、また稿を改めて書きたい。

(これも念のため書いておくと、3つ目は東京などの首都圏に限った話である)

ここまで書いてきた「 入替無し / 自由席 」「 途中入場 / 途中退出 」は、「2本立て〜3本立て興行」とも密接に関連するものだが、こちらは次回のテーマとする予定である。

執筆者

文・ライター:ぼのぼの

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