「 天国の日々 」レビュー、失楽園の物語第二章

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孤高の天才、テレンス・マリックの第2作「 天国の日々 」が4Kリマスターで劇場に帰ってきた。

「 史上最も美しい映画 」と賞賛される映像美は、最新のリマスターによってさらに磨き上げられたものになっている。

しかし、本作の見どころは決して映像美だけではない。

テレンス・マリックが描き続けてきた「 失楽園 」というテーマを、さらなる高みへと飛翔させたものは一体何だったのか。

目次

天国の日々

©Days of Heaven

原題

Days of Heaven

あらすじ

20世紀初頭のテキサス。青年ビル(リチャード・ギア)はシカゴでトラブルを起こし、妹のリンダ(リンダ・マンズ)、ビルの恋人アビー(ブルック・アダムス)とともに広大な麦畑に流れ着く。3人は裕福な地主のチャック(サム・シェパード)のために麦刈りの仕事をすることになった。秋が近づくころチャックは不治の病に侵されていることを医師から告げられる。麦刈りの時期が終わると労働者たちはそれぞれの故郷に帰ることになっていたが、チャックはアビーを見初め周囲の反対も聞かず結婚を申し込む。自分が身を引いた方がいいと悟ったビルは一人その地を去っていく。しかし翌年彼が再びテキサスに戻ってきたことからビル、チャック、アビーの3人は思わぬ展開を迎えた。
(公式サイトより引用)

公開日

1983年5月(日本初公開)

上映時間

94分

予告編

キャスト

  • テレンス・マリック(監督)
  • リチャード・ギア
  • ブルック・アダムス
  • サム・シェパード
  • リンダ・マンズ
  • ロバート・ウィルク
  • ジャッキー・シュルティス
  • スチュアート・マーゴリン
  • ティム・スコット
  • ジーン・ベル
  • リチャード・リバティーニ

公式サイト

天国の日々

テレンス・マリックの監督第2作目が再公開

2025年春、テレンス・マリックのデビュー作「 バッドランズ 」(1973)が製作から52年の時を経て、日本で初めて劇場公開されるという事件が起きた。

それに続いて監督第2作「 天国の日々 」も4Kリマスターで公開され、思いがけないテレンス・マリック再評価の波が押し寄せることになった。

日本公開まで52年もかかった「 バッドランズ 」には及ばないが、「 天国の日々 」も1978年に製作され、アカデミー撮影賞やカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞したにもかかわらず、日本での公開は1983年。

日本では、テレンス・マリックの映画は商業性のなさで公開が遅れる運命にあるようだ。

ちなみに、初公開の劇場は岩波ホールと並んでミニシアターの走りであった「 シネマスクエアとうきゅう 」。

つまり日本での公開は極めて地味だったし、特にヒットしたわけでもないということだ。

IMDbで確認すると、本作の製作費は推定で300万ドル(当時としてもかなりの低予算だ)。

それに対して全世界での興行収入は350万ドルに達していない。

大赤字とまではいかないにせよ、儲けなどほとんど出なかったということだ。

史上最も美しい映画の1本

にもかかわらず、この映画が与えた影響力は絶大なものがある。

自然光を生かしたネストール・アルメンドロスによる撮影(スケジュール的に撮りきれなかった部分をハスケル・ウェクスラーが担当)は、あらゆる映画人から絶賛され、

マジックアワー(日の出と日没時の柔らかな光が得られる時間帯)はマリック映画の代名詞ともなった。

「 史上最も美しい映画 」という謳い文句は決して誇張ではなく、フェルメールやアンドリュー・ワイエスを思わせるタイプの映像美で、これを超えるものはないと言っていい。

その美しさは、製作からまもなく半世紀が経つ今もなお、映画史に屹立するものだ。

本作の映像美については、もはや揺るぎない評価が確立し、伝説の名作として語り継がれている。

今回の4Kリマスター公開によって、その評価はさらに盤石のものとなるだろう。

この点についてはもはや多言を要しない。

大きく改変された脚本

だが本作は、その美学的な価値があまりにも突出しているため、中身について語られる機会が少ないように思う。

したがって、本稿ではその中身について語っていきたいのだが、ストーリーテリングとしては通常の映画に近かったデビュー作「 バッドランズ 」に比べ、

「 天国の日々 」は後のマリック作品に通じる、詩的・象徴的な映画話法に移行しているため、分かりにくい部分も多い。

実は今回非常に驚いたことがある。

アメリカ映画の脚本は、ネット上で検索すると無料で簡単に手に入るものが多い(もちろん英語)。

本作の解釈の参考にしようと思い、脚本を手に入れたのだが、それを開いたときには、間違えて同名異作をダウンロードしたのかと目を疑った。

台詞もト書きも全く違うのだ。

それどころか登場人物の役名や人間関係からして違う。

例えばリンダは「 ウルスラ 」という名前で、ビルではなくアビーの妹となっているし、登場していない人物もいる。

ザッと見る限り、大まかな筋は同じだが、完成品よりもはるかに台詞が多く、ストーリー性の強い、メロドラマチックな内容だ。

しかしここに書かれた台詞の大部分は本編に存在しない。

完成品は、それらの台詞を全てカットあるいはBG扱いにして、リンダのモノローグ中心でストーリーを進めていくスタイルになっている。

つまり、映画は元の脚本から大きくかけ離れた作品に仕上がっているということだ。

「 バッドランズ 」の脚本も入手したが、こちらは本編とほぼ同じ内容だっただけに、その極端な違いが一層際立っていた。

日付は1976年6月2日、作者はテレンス・マリック(Terry Malick)となっているので、おそらくこれがスタジオのゴーサインを受けて撮影用の決定稿として採用されたものだろう。

この脚本がどの時点で大きな変貌を遂げたのかは分からない。

その後、根本的な改稿が行われ、撮影前にスタジオが改めてそれにゴーサインを出していた可能性もある。

ただ、ここまで大きな変更は普通ありえないもので、スタジオの幹部が顔をしかめたことは想像に難くない。

この後マリックが「 シン・レッド・ライン 」(1998)まで20年間も映画界を離れるのは、彼自身の意思というより、スタジオとの約束(=事前に承認を受けた脚本)を大胆に変更したことで干された側面が大きかったのではないだろうか。

スタンリー・キューブリックが与えた影響

マリックは、なぜ分かりやすいストーリー性を排し、映像と詩的なモノローグによって物語を綴るスタイルに転じたのか?

彼の後の作品を見ても、台詞中心のストーリーでは伝えにくいテーマを、観客に直感的に体験させるためだったと考えられる。

マリックがキリスト教を思想のベースにしていることは間違いないが、その手法は、どこか禅に近いものを感じる。

知性ではなく感性で…と言うと、どこか甘いフィーリングだが、言葉では語り得ない深遠な何かを、通常のストーリーから外れる形で体験させる手法は、スタンリー・キューブリックが「 2001年宇宙の旅 」(1968)で採用したスタイルに近い。

またキューブリックは、「 時計じかけのオレンジ 」(1971)や「 バリー・リンドン 」(1975)で、ナレーションやモノローグによってストーリーを進めていくスタイルも採用している。

絵作りこそ違うが、作風やテーマから見ても、マリックがキューブリックから大きな影響を受けていることはほぼ確実だろう。

ストーリーテリングの面で、キューブリックが通常の映画から大きく逸脱したのは「 2001年宇宙の旅 」だけで、その後は比較的分かりやすい商業映画のスタイルに戻る。

しかしマリックは、この手法をどんどん推し進めていき、「 ツリー・オブ・ライフ 」(2011)で頂点を極めることになる。

ただし、翌年の「 トゥ・ザ・ワンダー 」(2012)以降は、物語の題材が日常的なレベルに降りてきたにもかかわらず、手法が前衛的なままのため、作品としてのバランスを欠くことになる。

浮かび上がる「 神 」の存在

「 バッドランズ 」の評で「 テレンス・マリック作品のテーマは失楽園だ 」と書いたが、もちろんそれは本作にも当てはまる。

「 虚偽の上に作られた天国と、その崩壊。逃亡の末に男は死に、女はその後の世界を生きていく 」というアウトラインだけ見れば、「 天国の日々 」は「 バッドランズ 」のリメイクと言ってもいいほどだ。

違うのは、ストーリーテリングの変化と圧倒的な映像美によって、「 人間 」だけでなく、それを取り囲む「 世界 」と「 時の流れ 」が、より鮮明に浮かび上がること。

登場人物を襲う悲劇が、個人的なものではなく、もっと大きな世界の一部であるかのような印象を抱かせることだ。

別の言葉で言えば、「 バッドランズ 」よりも、「 神 」の存在が感じられるということだ。

善良なる魂の失墜

もう一つ大きな注目点がある。

「 バッドランズ 」になくて「 天国の日々 」にあるもの、それはチャックという善良なる魂だ。

リンダに「 花をあげたら一生大事にする人。悪意の欠片もなく、死ぬというのに愚痴一つこぼさない 」と評される人物である。

この映画で最も大きな変化を見せる人物は、そのチャックだ。

彼がアビーに惹かれた経緯には何の後ろ暗さもない。

彼の好意を利用し、自身との関係を偽ったままアビーを差し出し、3人が楽な生活ができるように画策したのはビルである。

アビーも、あまり気乗りしないながら、その話に乗る。

結婚したあと、チャックはアビーに対して誠実な愛を捧げるのはもちろん、アビーの兄と妹だと偽っているビルとリンダにも優しく接する。

タイトルの” 天国の日々 “とは、この短くも幸せな日々を指すはずだ。

しかしそれは所詮、虚偽の上に立てられた楼閣だ。

ビルとアビーの真の関係に勘付いたチャックの心に悪魔が忍び寄る。

一度はビルが農場を去ったことでギリギリ命脈を保った天国の日々。

だが再びビルが戻ってきたことで、ついに終局を迎える。

ここで肝心なのは、帰ってきたビルが2人の関係を破壊しようとは思っていないことだ。

彼は、アビーがいつしかチャックを愛していることに気付き、今度こそ身を引こうと決心する。

だがチャックはその意図を誤解し、2人に対する猜疑心を再燃させる。

それに呼応するかのように、農場の作物を食い荒らすイナゴの大軍が襲来する。

キリスト教の世界では、「 出エジプト記 」に代表されるように、イナゴは神の怒り(天罰)を表すものと見られている。

悪意の欠片もなかったはずのチャックの心が嫉妬と疑いの念で汚染されてしまったとき、もはやビルの意図など関係なく、楽園は崩壊するほかなかったのだ。

ある意味、楽園とはチャックの善良な心の中にこそ存在したものだったのだろう。

半狂乱となったチャックは、最も無縁だったはずの暴力に手を染め、農場に火を放ち、天国の日々は終わりを迎える。

その後の現実を生きていく女性たち

その後のビルたちの逃亡劇は、「 バッドランズ 」のように重きを置かれない。

「 バッドランズ 」では逃亡の日々の中に楽園があったのに対し、こちらは既に楽園が崩壊したあとなのだから当然だ。

ビルは射殺され、アビーとリンダの2人は新たな人生へと歩み出す。

しかし「 バッドランズ 」のホリー(シシー・スペイセク)が通常の社会に順応して幸せを掴んだように描かれているのに対し、アビーとリンダが今後どんな運命を辿るかは分からない。

特にリンダは、せっかく入れてもらった寄宿舎からもすぐにドロップアウトしてしまう。

だが、農場で知り合った友人と行動をともにし、彼女を気遣う台詞で締めくくられることで、リンダの未来にもかすかな希望が感じられる。

その気遣いこそ、彼女が善良だったチャックから受け継いだもの、天国の日々の残照だったのかもしれない。

これは映画そのものには直接関係ない余談。

今回のリバイバルで初めて知ったのだが、リンダを演じたリンダ・マンズは2020年に亡くなっていた。

1961年生まれなので58歳か59歳。

平均寿命よりはだいぶ若いが、痛ましいほどの早死にとは言えない。

しかし筆者はこの映画でしか彼女を知らない。

つまり自分にとって、リンダ・マンズは一期一会の出会いを果たした永遠の少女なのだ。

この映画に登場した少女リンダが、スクリーンから消えて間もなく命を落としたかのような印象で、理屈では割り切れない心の痛みを覚えた。

映像と同レベルで忘れがたいモリコーネの音楽

最後にもう一つ、「 バッドランズ 」になくて「 天国の日々 」にあるものを語っておこう。

それはエンニオ・モリコーネによる驚異的に美しい音楽だ。

「 ザ・ハーヴェスト 」と題されたメインテーマが有名で、テレビ番組のBGMなどで使われたりしているのを耳にするが、他の曲も全て素晴らしい。

なかでも序盤の食事支給シーンやエンドクレジットで流れる曲は超絶的な美メロだ。

プログラムの江守功也氏の解説によれば、こちらには「 天国の日々 」というタイトルが付けられていて、食事支給シーンのピアノソロはモリコーネ自身の演奏だそうだ。

この作品のサントラ盤が容易に入手できない現状は極めて残念だ。

興行的には成功しなかったものの、本作によって、その後の映画界に大きな影響を与え、伝説的な映画作家となったテレンス・マリック。

彼の次作は20年後の「 シン・レッド・ライン 」まで待たなくてはならないが、そこに出現したのは、世界映画史の頂点に位置する最高傑作だった。

しかし、それはまた別の話である。

執筆者

文・ライター: 望月正人

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